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石鎚神社 口之宮本社
いしづちじんじゃ
[愛媛旅行] 愛媛県西条市西田甲797  Zenrin Data Com Maps display !!


丸に石


隅切り
三つ葉葵

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旧県社

石鎚神社公式サイトを開く

御祭神
石鎚毘古命 (石土毘古命、石鎚大神)

愛媛県西条市にある。
JR石鎚山駅の南、11号線から少し入ると大きな朱の鳥居が立っている。
その大鳥居をくぐって南へ進むと鳥居や楼門が立ち、境内へ続く。

参道をまっすぐ進み階段を上ると、大きな石鎚神社会館。
会館の脇を通って、右手(西側)へ進むと、当社社殿がある。

当社は、その名の通り、四国第一の高峰霊峰石鎚山信仰の本社。
石鎚神社は、石鎚山北麓に鎮座する当社、口之宮・本社、
石鎚山中腹・石鎚登山ロープウェイ終点から徒歩20分の中之宮・成就社、
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石鎚スカイライン終点の中之宮・土小屋遥拝殿、
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そして、石鎚山(1982m)頂上の奥之宮・頂上社の四社の総称。
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境内の奥には、石鎚山旧登山道入口がある。

山を信仰する神社としては珍しく
石鎚山を背にしておらず、社殿は東向き(やや南)。
参拝は年末だったため、鳥居脇には門松が飾られ、
拝殿では迎春準備の最中だった。

暖かくなったら石鎚山の成就社や頂上社に参拝し、
四社詣でてから掲載するつもりだったのだが、
それから十年(2012年掲載)が経過してしまった。
その後、何度か四国に行ったが、いつも冬だった。
今後、しばらく四国へ行く予定が無いので、
とりあえず、口之宮だけでも紹介しておく。

石鎚は石槌とも書かれる場合があり、
石鉄とする古い資料もあるが、現在は石鎚で統一されている。

創建年代は不詳。
『万葉主』山部赤人の歌に「極此疑(こごしき)伊豫能高嶺」とある
石鎚山上に石土毘古命を祀った古社。
弘仁十二年(821)の『日本霊異記』には、
「伊予国神野の郡の部内に山あり。
名を石鎚山と号く。これすなわち、その山に石鎚の神ありての名なり。
その山高くそばだちて、凡夫は登り到ることを得ず。
だた淨行の人のみ登り到りて居住す」と。

往古天武天皇十三年(685)役小角が石鎚山にて祈誓したといい、
修験道の開祖・役小角(役の行者)によって開かれた山。
日本最古の山岳信仰の一つとして修験道の両部習合により
寂仙菩薩が石鎚蔵王大権現と称えて深く信仰し。登拝路を開き、
常住社(中之宮・成就社)を創立。

上仙大師、光定大師などの高僧によって別当である
四国八十八ヶ所第六十番札所の横峰寺、同じく第六十四番札所の前神寺が創立。

かつては弘法大師も石鎚山で修行したと伝えられ、
桓武天皇、文徳天皇などの皇室や、
源頼朝、河野家一族、豊臣家などの武将の崇敬を受けた。

以上のように、明治までは神仏混淆の神社であったが
江戸時代文政八年(1825)、別当・横峰寺が廃され
維新の際に別当・前神寺も廃されて、石鎚神社と改称し県社に列した。

当社は元は、土佐との国境にある瓶ケ森山にあったといい、
御神体が人に負われて今の地に遷って来たという。
今でも毎年七月一日から行われる「お山開き」では、
玉持(仁徳)、鏡持(知徳)、剣持(勇徳)の
三体の神像が信者に背負われて山頂に向かう。

昭和二十年、石鎚山女人登山禁制が緩和され、
昭和二十四年宗教法人「石鎚本教」を設立。
日本各地や海外に、所属教会・遥拝所があり
ハワイやサンパウロ、パラグアイにも遥拝所があるらしい。

同じく西条鎮座の伊曾乃神社は女神であるらしく、
当社石鎚大神(男神)が、山頂から投げた石が落下した場所に
居を定めたという伝承があり、鳥居横に「石鎚神社の投石」があるらしい。
僕は伊曾乃神社参拝時には気づかなかったので確認していないけど。

当社は延喜式内社ではない。
修験道による神仏混淆の社であったことが理由だと思うが、
一説には、土佐国の式内社・石土神社が瓶ケ森山に遷座してという。

社殿や境内のあちこちに「丸に石」の紋が飾られていたので
それが当社の神紋だと思うのだが、
『全国神社名鑑』には「隅切り三つ葉葵」とある。
「隅切り三つ葉葵」は、西条松平家の家紋。
西条藩は紀伊和歌山藩の支藩であり、その庇護の証だろうか。

参道や境内には幾つかの境内社が祀られている。
社名を確認したものは以下の通り。
大石社(猿田毘古神)、三倍神社(素盞嗚命 言代主神 伊藤八郎平)、
方違社(歳徳神)祓戸大神、祖霊殿(役の行者ほか代々の宮司など)、
天皇宮(素盞鳴命)。

総合摂社には以下の六社。
秋葉神社(火之加具土神)、大山祇神社(大山祇神)、
伊雑社(皇大神)、荒神社(天照皇大御神荒魂)、
河内八幡神社(誉田別命)、開拓社(三右ヱ門命)。

『平成祭データ』には、他に厳島社(宗像三女神)、三十六王子社の名がある。


参道鳥居

楼門

境内入口

境内

階段上に会館

役の行者

境内社殿

拝殿

社殿

大石社

三倍神社

方違社

祖霊殿

総合摂社


天皇宮

石鎚山
旧登山道入口

祓戸大神

下から社殿

石鎚神社
石鎚神社とは、この本社、石鎚山中腹の成就社、山頂の頂上社 を総称していいます。中世以降、山岳仏教の修験道場として日本 七霊山の一つに数えられ数多くの信者を擁しています。
毎年7月1日から行われる「お山開き」では、法螺貝の鳴り 響く石鎚を、智・仁・勇の三体の神像が信者に背負われて山頂 に向かい10日間安置されます。その間信者は、われさきに 神像に触れ、無病息災を祈ります。
日本七霊山・石鎚山・富士山・御嶽山・大峰山・立山・大山・釈迦岳

−境内案内板−



石鎚神社
霊峰石鎚山総本宮・石鎚神社
石鎚信仰の由緒・沿革

石鎚信仰の母体、関西第一の高峰霊峰石鎚山(1982メートル)は、一千三百年の昔、役の行者(役小角)によって、開山されました。その後、寂仙菩薩が石鎚蔵王大権現と称えて深く信仰、山路を開き、登拝者を導き、常住社(今の中之宮・成就社)を創立しました。
その後、上仙大師、光定大師等の高僧が、四国八十八箇所第六十番札所の横峰寺、同じく第六十四番札所の前神寺を創立、石鎚神社の別当寺となって、幕末、明治維新を迎えました。と同時に明治天皇の大命により、神仏混淆が禁止され、別当寺が廃止、純粋な神社と定められました。
しかしながら、現在も永く深い信仰をものがたるかのように、神仏混淆の色が、濃く残っています。
かつて、弘法大師も石鎚山で修行したと伝えられ、桓武天皇、文徳天皇、武将としては、源頼朝、河野家一族、豊臣家一族の厚い信仰があり、慶長十五年、豊臣秀頼公により、中之宮成就社が御造営されましたが、明治二十二年の火災により焼失しました。(現在の成就社は、昭和五十五年十一月十三日、災禍にみまわれ焼失、昭和五十七年六月二十日に復興、御造営されました。)
また、寛文年間よりは、西条藩主、小松藩主の信仰、特に厚く、社殿の修理、神器、神宝の奉納が数々ありました。
明治初年、明治天皇の大命により、神仏混淆が禁止された当時、石鎚神社は、県社の社格に列せられていました。その後、第二次世界大戦の終了と共に、全国の神社は、信教自由の見地により、神社本庁に包括される宗教法人となり石鎚神社は、従来の官国弊社と同格の別表神社という待遇を受けました。
これと共に、石鎚信仰の「神仏混淆」という特殊性等を生かすために、石鎚神社の傘下宗派として、宗教法人石鎚本教を創立しました。これにより、神社のみでは、発行できなかった教師免状や、教会設立の便宜を図ることができるようになり、国内はもとより、遠く海外まで信徒、崇敬者の輪が広がり、神社、本教一体となって発展し、現在に至っています。

−『平成祭データ』(原文ママ)−



最終更新日:2014/08/14
【 石鎚神社 口之宮本社 (西条市) 】

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