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来待神社
きまちじんじゃ
島根県松江市宍道町上来待241  Zenrin Data Com Maps display !!


亀甲に剣花菱

式内社 出雲國意宇郡 來待神社
旧郷社

御祭神
大物主櫛甕玉命 積羽八重事代主命 五十猛命

宍道町にある玉造温泉カントリークラブの東。
神社の裏山の向こうはゴルフ場か。
境内はかなり広い。まっすぐに伸びた参道の先に神門がある。
社殿は3つ。中央の社殿には「三所大明神」と額がある。

大森大明神とも、三社大明神とも呼ばれた神社で、
式内社・來待神社に比定されている古社。

崇神天皇の頃、大和国三輪より勧請したと伝えられ
大和国より御祭神が「来る」のを人々が「待った」ことから来待となった。
また、事代主命が社殿を建てて、大物主命を迎えたとも。

中央の本殿に、大物主櫛甕玉命を祀り、
左殿(向かって右)に積羽八重事代主命、右殿(向かって左)に五十猛命を祀る。

康暦の頃(1378〜1380)戦乱により衰微したが
天正の頃(1573〜1591)、犬山尚平によって復興された。

「明治神社誌料」によれば、御神体は石らしい。

明治四年郷社に列し、明治四十年、以下の七社を合祀。
ただし、世那加神社以外の六社は旧社地に復帰されているらしい。
和名佐神社(和名佐比古神)、金箸神社(廣國押建金日命)、
向津神社(天照大神)、屋風呂神社(八尋鉾長依彦命)、
御内神社(須佐之男)、八幡宮(應神天皇)、世那加神社(月夜見命)。

境内の左右奥に境内社に石祠がいくつかある。
『式内社調査報告』によると、左殿後方に伊勢社ともう一つ。
右殿後方に金比良社があるらしいが、さらに幾つかあるようだ。

境内社前の灯篭の火袋の中に、
雛人形のような大きさの人形があり、一瞬驚いた。
随神のつもりで置かれているのだろうか。面白い。


鳥居

参道

境内と社殿

右殿 五十猛命

左殿 積羽八重事代主命

中央 大物主櫛甕玉命

境内社

境内社

灯篭の火袋に人形

随神の変わりだろうか

斜め後方から社殿

来待神社 旧郷社
八束郡宍道町上来待
祭神 大物主櫛瓶玉命 他九柱 例祭 一○月二八日
本殿 春日造一坪 境内 一三○○坪 末社 二社
由緒沿革 延喜式内社で、崇神天皇の頃大和国三輪から勧請したと云う。明治初年郷社に列した。

−『神社名鑑』−

『式社考』に「来待を来海と書くは、入海の邊にて、 本、来待海といひしを省してかけるべし。」

社伝に崇神天皇の頃、勧請すとある。大物主命 大和國三輪より来ますと人々が待つたことから、社を来待神 社と言ひ。来待神社から此の村を「来待」といふに至つた と言ふとの古伝がある。又、他の社伝は、事代主命が此処 に神社を建てられて、大物主命を大和國大御和(おおみわ)からお迎へ したともいふ。来待村の総社として、総産土神・大氏神と 称されてゐた。

−『式内社調査報告』−



【 来待神社(印刷用ページ) 】

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