さだ
島根県松江市鹿島町佐陀宮内72

前回の参拝は、神在月だった。
「お忌みさん」と呼ばれる祭で、垣の周りに注連縄で結界し、
神々の来臨を待つ。

垣の南北に境内社があるが、どれがどれかはわからない。

また、南境内社の隣に社日があり、その奥の階段を登ると
垣の中に、石が祀られていた。社務所で聞くと、
イザナミを祀っているそうで、末社だということ。


佐太神社 旧国幣小社
八束郡鹿島町佐陀宮内 山陰本線 松江駅より北方八粁
祭神(中殿)佐太大神 事解男命 伊弉諾尊 速玉男命 伊弉冉尊
(北殿)天照大神 瓊々杵尊(南殿)素盞鳴尊 秘説四座
例祭 九月二四日〜二五日
神紋(中殿)扇の地紙(北殿)輪違(南殿)亀甲
本殿 大社造 二八坪 境内 一二三八七坪 末杜 一六坪
宝物 檜扇 色々威五八間筋兜 鎧 色々威胴丸兜大袖付 色々威腹巻兜大袖付(以上重文)、銀蛭巻の薙刀(県文化財)御供台三(重美)
氏子 七○戸
神事と芸能 神在祭(お忌祭)一一月二○日二五日迄、佐陀神能(九月二五日)
由緒沿革 当社は導大神であって佐太大神社、或は佐太御子社と云い延喜式に佐陀大社と記されてから社号も佐陀大社となった。別に八百万の神々をお招きしてお祭りするところから神在の社とも称えられている。垂仁天皇五四年夏始めて正殿式造営あり、貞観一三年従四位下に昇叙。北多、御井、宇多紀、宇智、垂水、大井の六宮社も未社となり、秋鹿郡神戸里神領となり遂に後鳥羽院御起請の庄園となった。また後鳥羽院より「正一位佐陀大明神」の勅額を賜う。社領七百貫後文永の頃には三四○町歩余に及び出雲二宮と仰がれるに至った。掘尾吉晴藩主となるや本領の内二百石を寄進。貞享年中藩主松平綱近、正殿式造営をなす。明治四年佐陀神社と改め、同六年県社同一四年佐太神社と改め、昭和一二年国幣小社に昇格す。(神社本庁別表神社)

−『神社名鑑』−

佐太神社 島根県八束郡鹿島町。旧国幣小社(現、別表神社)。『出雲国風土記』に「佐太の大神の社」と見え、佐太大神は神魂命の子、支佐加比売命の子で、八束郡島根町加賀の岩窟にて生まれ、佐太の地に宮居され、佐陀地方一円の祖神で地名をもって尊称する。『延喜式神名帳』(九条家本)、『伊呂波字類抄』などには佐陁大社と大社号を付す。本殿は三殿並立の大社造で、中殿に佐太大神・伊弉諾尊・伊弉冉尊・速玉之男命・事解男命、北殿に天照大神・瓊々杵尊、南殿に素盞鳴尊、秘説四座の神々を祀る。『三代実録』によると、貞観元年(八五九)従五位下に叙せられ、同九年正五位上、同一三年従四位下に昇叙する。後鳥羽院よりの「正一位佐陁大明神」の勅額を掲げたと伝え、鎌倉時代は佐陁神宮寺領をもって後宇多院領となった。守護・領主・藩主の崇敬篤く、寄進・社殿造営が行われ、室町時代より島根・秋鹿・意宇郡西部にまで支配権が及び、杵築大社(出雲大社)・日御碕神社とともに出雲三大社と称された。神事・宝物も多い。九月二四日の御座替神事は、一九日より恵曇の浜で斎戒し、二四日夕刻より摂末社を始めて南北中殿と及ぶ。翌日は例大祭。タ刻より催す神事能(七座の神事。一二段の舞〈県無形文化財〉)は、備中神楽歌の文句からしても、諸国神楽に影響を与えた。五月三日の直会祭はやぶさめ神事、さるだ三番の祭(日時に庭上では獅子舞)、勅使参向直会神事を行う。一一月二○日〜二五日は神在祭、五月二○日〜二五日は神在裏月祭を行う。他に管粥祭(二月一五日)、お田植祭(九月二四日)など行われる。指定をうけた宝物のみ示すと、色々威胴丸兜・大袖付付鎧唐櫃・色々威五十八間筋兜・色々威腹巻・兜大袖付・彩絵槍扇・竜胆瑞花鳴蝶文彩絵箱<以上重要文化財>、蛭巻薙万拵・野太刀(二振)・御供台三基・舞楽面(陵王)・線刻十一面千手観音鐘像・着彩阿弥陀来迎図鏡像<以上県指定文化財>。当社付近は佐陀溝武貝塚をはじめ、弥生式遺跡があり、銅鐸・銅鉾も発見されている。

−『神社辞典』−

佐陀(佐太)大社 秋鹿郡(八束郡鹿島町佐陀宮内)
祭神四座 正殿〔前は〕伊弉冊尊  両殿〔南は〕素盞鳴尊
       〔後は〕伊弉諾尊    〔北は〕瓊瓊杵尊
 摂社
氏神社   神殿の傍らにある〔神主の祖神〕。
田中社   神殿の近所二町ぱかりにある〔深秘の社〕。
道祖神   以上三社は北殿の摂社である。
恵曇社(恵曇神社)(八束郡鹿鳥町恵曇町)
五十田佐社 以上二社は南殿の摂社である。
神魂社   これは正殿の摂社である。(松江市大庭町にある)
外に、大庭、八重垣(八重垣神社。松江市佐草町)などの宮がある。池泉〔稲田姫が化粧の水とする〕がある。稲田姫・手摩乳・脚摩乳社がある。(『国花記』にょる)

−『和漢三才図会』−