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甲斐奈神社
かいなじんじゃ
山梨県甲府市中央3−7−11  Zenrin Data Com Maps display !!


桜花心に巴

式内社 甲斐國山梨郡 甲斐奈神社
旧郷社

御祭神
菊理姫命 木花咲耶姫命
相殿
瓊瓊杵命 大山祇命 石長姫命 若彦命

山梨県甲府市にある。
金手駅の南100mの甲府市中央に鎮座。
道路に面して石垣が組まれ、
階段を上ると広くて綺麗な砂利の境内。

境内中央には、新しく改築された拝殿があり
後方に、やや小ぶりな感じの本殿が鎮座している。

参拝は、休日の早朝。
甲府市内のホテルを出て、すぐに参拝した神社。
あいにくの曇天と早朝のため、やや暗い境内だが、
市街地にある著名な神社であることは、すぐに理解できる。

社殿の左手には、境内末社や石がズラッと並んでいる。
南側から、
延命長寿社(旧石の霊、鳥居の石扁額や石柱などを祀る)、
動物霊石、諸霊社、水子霊石、無縁霊石、
境内守護社(戦没者霊・境内有縁神・庚申大神)、祖霊社、
五行円満石、家内安全社、安全・合格の鐘、合格の石、
学業成就社、学業・交通守護牛、交通守護社、交通・開運守護馬、
開運守護社、甲斐奈七福神、諸願成就社、百度めぐり、
商売繁盛社(稲荷社)大国主大神石像、
健康守護社(金比羅大神大國主大神・活目大神)、生目大神石像。

境内の南側には、命の石・子育石・夫婦銀杏石などもあり
現世利益の霊験著しいお宮なのだろう。

末社群の奥に、石碑が三本建っていたが、
読めなかった(残念)

社伝によると、
人皇第二代綏靖天皇の御代、
皇子土本毘古王が、甲斐国疏水工事を行い、
甲斐国開拓の御業なせし時、中央の山上甲斐奈山(現愛宕山)に、
白山大神を祀ったのが当社の起源。

以来、甲斐国鎮守の神として尊崇された古社。

永正年間、武田信虎の築城に際し、現在地に遷座。
文禄年間、甲府城起工に際し、東部守護神として、
浅間大神を併祀。

享保十二年十二月、火災により焼失したが
ただちに復興された。

明治九年郷社に列し
昭和二年、境内拡張事業により現在の規模になった。

境内南東隅には巽龍神社が祀られている。

社殿の屋根には、桜紋の花心に三つ巴が配置された紋が付いていた。
描いてみたが、バランスが悪く、正確に表現するのは難しい。
境内左手の生目大神石像の後方に、昔の屋根瓦が置かれ
瓦の神紋があったので、その紋を上記に載せておく。


社頭

社殿

境内

本殿

拝殿

境内社

石碑(読めなかった)

御神木

巽龍神社

命の石・子育石・夫婦銀杏石

甲斐奈神社御祭神並びに御由緒
主祭神
白山大神(菊理姫命)
白山を御神体と仰ぐ理智・決断・統一・紛争解決の神
はくざんさん
浅間大神(木花咲耶姫命
富士山を御神体と仰ぐ平和・寛容・結縁・安産の神
せんげんさん
相殿神
     瓊瓊杵命治国済民
     大山祇命生命繁栄・守護
     石長姫命健康・長寿
     若彦命先導・道開き
 当社は、人皇第二代綏靖天皇の御代、甲斐国開拓に際し 甲斐奈山(現愛宕山)の頂きに白山大神を祀ることに始まり、以来延喜式 神名帳に載る如く甲斐奈国鎮守の神として尊崇された永正年間(一、五〇四〜一、五二〇) 武田信虎の築城に際し現在地に遷座され文禄年間(一、五九二〜一、五九五)甲府 城起工の際、東部守護神として浅間大神が併祀され社運愈々 隆盛となった。
 明治九年郷社に列せられ、昭和二年境内拡張事業に依り現在の 規模に到る、昭和二十年戦災に依り社殿悉く焼失すれど復興事 業めざましく、戦後二十数年にして旧に復す。白山大神の「理」 浅間大神の「和」の御神徳は人生諸般に亘り広く崇敬を受けている
例大祭四月十五日神幸祭(おみゆきさん)
六月最終土曜日大祓祭(おみそぎさん)

−境内由緒書−



【 甲斐奈神社 (甲府市)(印刷用ページ) 】

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