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馬見岡綿向神社
うまみおかわたむきじんじゃ
滋賀県蒲生郡日野町村井705  Zenrin Data Com Maps display !!


雲に二羽雁

式内社 近江國蒲生郡 馬見岡神社二座
旧県社

馬見岡綿向神社公式サイトを開く

御祭神
天穂日命 天夷鳥命 武三熊大人

滋賀県の日野町にある。
近江鉄道・日野駅の東4Kmほどの村井に鎮座。
日野町役場から東へ1,5Kmの場所に境内がある。

境内入口は南側。
境内の背後を477号線が東西に走っており、
477号線の北には出雲川が流れている、そんな場所。

境内入口に鳥居はなく、
入口を進むと参道が二股に分かれ、
参道の間、境内中央にある拝殿の前に大きな鳥居が立っている。
参拝は年末の晴天の日。
周囲の道路の雪は残っていなかったが、
境内にはまだまだ多くの雪があった。

鳥居の後方に石橋があり、石橋の奥に入母屋造の立派な拝殿。
拝殿の後方に参道が延び、30mほど後方に入母屋造の本殿がある。

境内の右手に池があり、多くの境内社が祀られていたが
雪のために足元が悪く、あまり歩き回っていない。

あいにくの積雪と、参拝後の予定があり
ゆっくりと参拝できなかったのが残念。

古来、大嵩社、綿向明神と称された古社。
養蚕の祖神として、日野の大宮とも称された大社。

神武天皇の御宇、
彦健忍雄心命が、出雲より出雲国の開拓の祖神・天穂日命を迎え
綿向山頂に祀ったのが創祀。

その後、欽明天皇六年(545年)
蒲生の豪族・蒲生稲置三麿と山部連羽咋が綿向山麓に狩りに来たところ
一天にわかに掻き曇り、四月(新暦五月)だというのに吹雪となった。
しばらく岩陰で休み、雪が止んで外に出てみると大きな豬の足跡を発見。
夢中になって足跡を追っていくうちに山頂に導かれ、
綿向大神の化身となって現れた白髪の老人から
「この山の頂に祠を建てて祀れ」との託宣を受け、
社殿を建てて祀ったという。

そのお宮は大嵩神社と称し、
二十年毎に社殿を建て替える式年遷宮が今も続いている。

『明治神社誌料』では、
天武天皇白鳳十三年、建忍雄心命の後裔・出雲臣狗、
大辨官羽田真人によって、篠谷川上流馬見丘の夷鳥命を祀った社に合祀。
この社が、式内社・馬見岡神社であるという。

境内由緒書きでは、
平安時代の初期、延暦十五年(796)に里宮として、
現在の地に遷し祀られたとあり、
現在地にある社が式内社ということになるのだろうか。

現在の祭神は、天穂日命天夷鳥命武三熊大人だが
天夷鳥命と武三熊大人は同神と考えられ、
よって、天穂日命、天夷鳥命の二座を祀っており、
延喜式神名帳にも馬見岡神社二座とあることに合致する。

明治九年郷社に列し、
明治四十年(由緒石碑では四十二年)県社に昇格した。

鎮座している村井の森は、置目の森とも称し
本殿脇の村井御前社に地主神・置目老媼命が祀られている。

当社の神紋は、雲の二羽雁。
雲の上を二羽の雁が飛んでいるが、
上の雁が口を開け、下の雁が口を閉じた形なのだ。

境内右手に、蛭子神社、玉影社(祖霊社)が祀られている。
池の周囲にも多くの境内社があり、
天満宮、神明神社、事比羅神社、安平稲荷神社、
竃神社、玉椿神社、稲置三麿神社、浅間社、
綿向嶽奥之宮・大嵩神社、富士山本宮遥拝所がある。

池の中に小祠があったが、
小さな石橋に雪が積もっていて不安だったので確認していない。
公式サイトによると池之社・出雲神社らしい。

池の脇に、武将の像があり、
二人の人物が向き合って座っているのだが、どなただろうか。
(楠木正成とその息子正行という情報をいただいた)

また、千両松と呼ばれる松がある。
日野商人・辻惣兵衛が三島での商売のため
松の盆栽に小判を隠して往復していたらしく
無事に小判を持ち帰ることができたお礼に植えた松だそうだ。

本殿の右手は、八幡宮。
八幡宮の奥に神使の豬像と榊御前。
本殿左手、村井御前社。

他にも、僕は確認していないが、
社日社、杉の大木を神霊の依り代とした猿田彦之神、祓い所に大将軍神社など。

境外社としては、
綿向山頂に奥之宮(大嵩神社)、綿向山麓に佐久奈度神社。
また、当社への参道にあるらしい、創祀者・彦健忍雄心命を祀る笠懸神社。


境内入口

雪の境内

鳥居と拝殿

拝殿

蛭子神社

参道と本殿

本殿

本殿

村井御前社

八幡宮

榊御前社

神使の豬像

境内の武将の像

玉影神社

伏牛と天満宮

神明神社

千両松

事比羅神社

竃神社、玉椿神社、稲置三麿神社


富士浅間神社

綿向嶽奥之宮・大嵩神社、富士山本宮
遥拝所

安平稲荷神社

入口付近の境内社

馬見岡綿向神社
御祭神
 天穂日命 大夷鳥命 武三熊大人命
御由緒
 当神社の起こりは、東方に気高く聳える綿向山の頂上に、 神武天皇の御宇出雲国の開拓の祖神を迎え祀り、欽明天皇 六年(西暦五四五年)その頂上に祠を建てたのが始まりと伝える。
 その後、平安時代の初期、延暦十五年(七九六年)に里之宮とし て、現在の地に遷し祀られたという。以来、延喜式神名帳に もその名が見え、蒲生上郡の総社、日野の里の大宮として、 何時の時代も当地の産土神と、人々の信仰の中心となってき た。殊に鎌倉時代から安土桃山時代にかけて、この地の領主 であった蒲生氏一族は、氏神として尊び庇護し、更に江戸時代 に全国に名をはせた近江商人の内の日野商人達の巨万の財力 にも支えられ、出世開運の神として崇敬が集められ、明治九年 郷社に、同四十二年県社に列せられた。そして、今の世も氏子 人等の心の拠り処と崇め親しまれている。
 その始めを嘉応二年(一一七〇年)とする春季例大祭(五月二・三・四日) は日野祭と称し、三人の神稚児や三社の神輿、十六基の曳山車 を中心に、古式ゆかしく絢爛豪華に繰り広げられる祭礼は県下 にも有名で、県の無形文化財に指定されている。
 なお、綿向山頂(標高一一一〇米)に祀る奥之宮(大嵩神社)は、古来より 二十一年目毎に社殿を建て替える式年遷宮の祭事が、今も絶 えることなく続けられている。

−境内石碑−



【 馬見岡綿向神社 (日野町) 】

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