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籔田神社
やぶたじんじゃ
京都府南丹市園部町南大谷宮ノ後  Zenrin Data Com Maps display !!

式内社 丹波國船井郡 志多非神社

御祭神
月讀命 伊邪那岐命 須佐之男命

京都府南丹市にある。
亀岡市との境からすぐ北の園部町南大谷に鎮座。
亀岡駅の北西14Kmほどの位置で、
372号線から少し西へ入った場所。

古代山陰道の野口驛の近くに、
丹波国府から篠山盆地へ向かう街道の要衝にあり
付近には古墳や中世荘園の野口荘がある。

境内は南西向き。
「したひの森」とも呼ばれる森の中に境内がある。
石垣の参道を進むと境内鳥居。
鳥居の奥に拝殿。
拝殿の後方に流造の本殿を納めた覆屋がある。
現在の本殿は江戸時代に再建されたものらしく
それ以前の本殿は、当社の西300mの普済寺付近にある
天満宮の社殿になっているらしいが、見ていない。

本殿の左手に、本殿と同規模の境内社がある。猿田彦神社のようだ。

その猿田彦神社と本殿の中央に磐座らしき石があるが
『式内社調査報告』には、何も記されていなかった。

創祀年代は不詳。
寛治元年(1087)に全焼し、嘉保二年(1095)に再建された。

志多非(したひ)の森にあり、鎮座地は、かつては志多樋といい
志多樋神社とも称された神社で、
式内社・志多非神社に比定されている古社。

現在の祭神は、月讀命伊邪那岐命須佐之男命だが
昔は猿田彦命であったと伝えられ、
『式内社の研究』では、本殿左の猿田彦神社こそが
式内社・志多非神社であるという。

また、同じく『式内社の研究』によると
志多非は「下樋」のことで、地下に通した水を流す樋。
舞殿のそばにある溝のある下樋らしき木材に注目すべきとある。

昔は、船井・桑田・多紀三郡にまたがる総氏神であったが
各村がそれぞれ独立し、三十二の氏神として
当社の末社が、それぞれの地に移し祀られていったという。

境内奥の御神木の杉は、
大江町の元伊勢神宮の神木の枝を持ち帰り育てたものらしい。


社域

境内入口

参道鳥居

境内

本殿覆屋

舞殿(拝殿かもしれない)

舞殿そばの下樋らしき木材はこれか?
違うような気もする

本殿左手の猿田彦社

本殿覆屋

間に磐座?

境内社

磐座

神木の杉

境内社


【 籔田神社 薮田神社 (南丹市)(印刷用ページ) 】

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