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大神神社
おおみわじんじゃ
[奈良旅行] 奈良県桜井市三輪1422

三輪駅の西に大鳥居がある。かなり大きい。
桜井市内を歩いているとあらゆる方角から目に入る。


大鳥居

拝殿は、1999年秋に新しく修築された。
5月に参拝した時は、緑のシートで覆われていたので、
再度、奈良に行き、撮影してきた。
拝殿奥に三つ鳥居が見えるがうまく撮影できない。


平成九年〜十一年修造中の拝殿

参道入口二之鳥居

境内

境内

拝殿

正月元旦には繞道祭が執行される。
年に一度の三つ鳥居特別開扉が行われ、
大松明に火を点けて摂末社十八社を巡る神事。
およそ5Kmの行程を二時間半で走って本社へ戻るそうだ。

拝殿前の巳の神杉
正月元旦の繞道祭の十八社めぐり順路
01.神宝社
02.天皇社
03.神坐日向神社
04.大行事社
05.活日神社
06.磐座神社
07.狭井坐大神荒魂神社
08.貴船神社
09.檜原神社
10.富士社
11.厳島社
12.神御前神社
13.綱越神社
14.大直禰子神社
15.久延彦社
16.琴平社
17.御誕生所社
18.祓戸社


神楽殿

大神神社 旧官幣大社(現、別表神社)。
古くは大神大物主神社、通称三輪明神という。当社は神体山三輪山、神奈備のみもろ山そのものを信仰してきたものであり、従って社殿がなく拝殿・神門だけがあり神社の原初的型態であるとも考えられる。禁足地である山中には巨石群、磐座等祭祀遺跡が散在するという。また、ミワ神婚伝承として大神が美女に通ったとする神話もよく知られている。崇神紀七年に、伊香色雄に命じて、大田々根子を大物主の大神を祀る主とし、翌八年高橋邑人活日を大神の掌酒となし、冬一二月乙卯の日をもって太田々根子に大神を祀らせ、天皇も行幸した記事がある。貞観元年(八五九)九月奉幣して風雨を祈り、同九年二月、先月の五穀を祈った賽として奉幣のことがみえる。宮中で行われる灌仏の儀を停止して大神祭神事を行ったという貞観一八年(八六七)元慶四年(八八0)の記事からも、その尊崇ぶりはうかがえよう。嘉祥三年(八五〇)正三位に叙せられたのを初めとして、仁寿二年(八五一)従三位、貞観元年(八五九)従一位勲二等、同年二月正一位に昇階した。大神氏の同族は各地に存在して活躍したことは国史によって知ることができるが、天平神護元年(七六五)九月八日符に、神封一六〇戸のうち大和三五・摂津二五・遠江一〇・美濃五〇・長門三〇と、諸国に神封を得ていることからも、各地にミワ神社の祀られている理由がうかがえよう。寛平九年(八九七)勅して大神・狭井の両社を祀ることがみえ、この大神祭は西宮記・北山抄等に詳しい、昌泰元年(八九八)三月勅して夏冬の祭を行わせられ、内蔵寮馬寮官人をして幣帛、走馬一二疋を奉じられ、延喜の制名神大社、祈年・月次・相嘗・新嘗・祈雨の祭に幣に預かる。中世には、大和国一の宮として、また二二社の一に数えられ朝野の尊崇をうけた。長保二年(一000)七月一三日大神社宝殿鳴動により、二一社に奉幣の行われたことを知る。神宮寺大御輪寺は既に奈良朝より知られるが、僧慶門を初めとして鎌倉中期から両部神道が形成され、若宮の別当平等寺とともに、いわゆる三輪流神道の流布に努め、古来の自然崇拝的要素に、組織と神学を付与した。摂末社は四〇を数えるが、とりわけ、『延喜式』の神坐日向神社は若宮として、大田田根子命を祀る大直禰子神社となり、『延喜内蔵式』には大神祭に緋帛二丈を日向王子の幣料として規定されている。摂社狭井座大神荒魂神社・綱越神社は『延喜式』以来の名社である。現在、医薬・酒業・厄除方除の神として信仰を集めている。拝殿、三つ鳥居・(三輪鳥居)大直彌子神社社殿・紙本墨書周書・朱漆金銅装楯が重文、摂社率川神社本殿聖観音毛彫御正体、高杯を県指定の文化財とされている。主な祭典には正月元旦=繞道祭(御神火まつり)、正月一五日=1古神符焼上祭(大とんど)、二月六日=御田植祭(おんださい)、四月九日=大神若宮神幸祭、四月一八日=鎮花祭(くすりまつり)、六月一七日=三枝祭(ゆりまつり)。七月三〇、三一目=綱越神社おんばら祭(夏越祓)。

−『神社辞典』−

三輪大明神(大神神社)三輪山〔またの名三諸山〕にある。杜領百七十五石
 祭神 一座 大己貴尊〔一名大国主神、またの名大物主神〕 〔神主 高木左兵衛〕〔別当 平等寺〕
 ただ一の鳥居・二の鳥居・楼門・拝殿などがあって神殿はない。里人が訝って造営した時、群鴉が啄き破り、かつ壊たれた木の所在が知れなかった。神は社を好まれないことが分かった〔『奥儀抄』に見える〕。
(『国花記』による)
(『日本紀』の)「神代巻」に、大己貴神の幸魂・奇魂が今日本国の三諸山に行こうと思う、とある。これが大三輪の神である。〔垂仁天皇六(二十五)年〕大水口宿禰に神がかりして教えて言った。太初の時に期って言うには、天照大神は悉く天原を治めよう。皇孫の尊(代々の天皇)は専ら葦原中国の八十魂神(天神地祇)を治めよう。我は親ら大地官(国魂・地主神)を治めよう、と。
(以上『神社啓蒙』による)
 倭迹(迹)日百襲姫命〔(第七代)孝霊天皇の女、(第十代)崇神天皇の姑である〕は大物主神の妻となった。ところがその神は、常に昼は現われず夜に来る。命は、君は昼は常におられない、願わくばしばらくここに留まって下さい。明朝その威儀を見たい、と言った。太神が答えて、我は明朝汝の櫛笥(櫛を入れる箱)に入って居よう。どうか我が形に驚かないように、と言った。命は密かに怪しんで、夜の明けるのを待って櫛笥を見ると、美しい小蛇がいた。その長さは衣の紐ほどである〔蟠屈って三輪となっているので、この神は初め大和太神といったが、のちに三輪太神と号した〕。それで驚いて叫ぶと、太神は恥じて人の姿となって言った。汝は忍ばずして我を羞しめた。我は還り、汝を羞しめん、と。そして太虚を踏んで御諸山に登った。姫命は仰ぎ見て悔い、箸で陰を突いて薨じた〔そこで大市に葬った。その墓を号して箸墓というのである〕。『日本紀』(崇神十年)に見える。
(『大和名所記』による)
 大己貴神は天羽車に駕って虚空を飛び、遍く妾を求められた時、節渡県に下りて潜かに大陶祇の女、活玉依姫に通った。その往来は人の知るところではなかったが、女が初めて妊娠した。父母は怪しんで、誰が来るのか、と問うと、神人がいて屋の上から来て共に枕を並べる、と答えた。そこでこれを見顕わそうと、針を苧玉巻〔糸を巻くと玉のようなのでいう〕に着け、神人の裳に懸けた。その糸を印にして、明朝往くに従って尋ね見ると、吉野山に入り三諸山に留まった。巻いて輪にした糸が三丸(三勾。三輪のこと)なお残っていたので三諸山と号し、三輪という〔その神名を大三輪太神と名づける〕。『旧事本紀』に見える。(『大和名所記』による)〔△思うに、以上二説は少し異同がある〕
 ○印形(しるしのすぎ)  言い伝えでは、勢州奄芸郡の猟人が異女に逢って妻にし一児を儲けた。その後、母子の去った所は分からないという〔歌がある〕。
  恋しくは尋ねてもみよ我が宿は三輪山もと杉たてる門
 夫はこれを尋ね求めて神木の本で会い、三人同じく神となった。当社の祭に勢州奄芸郡の人が来て執行するのはその縁による。
(『国花記』による)

−『和漢三才図会』−



参道にある祓戸社 瀬織津姫神速秋津姫神気吹戸主神速佐須良姫神

参道の木陰にある御炊社 御膳津神

参道にある夫婦岩

大神神社の南にある成願稲荷神社
末社ではないらしいので、ここに載せる



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