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国府八幡宮 国分寺鎮守八幡宮
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国府八幡宮 国分と表記する 社もある。律令制の諸国の国府所在地に国 衙の鎮守として祀られた八幡宮をいう。ま た国分寺の鎮守八幡と伝える社もある。国 分寺は国府に近く建立されたので両者の混 交も考えられる。 国分寺は天平一二年(七四 〇)の詔勅、翌年官符によって細目か示さ れて、国司の管掌のもとに建設が進むが、 八幡宮の奉斎については明かでない。が国 分寺が金光明四天王護国之寺を正式名称と するように護国の寺であり、東大寺を中世 総国分寺と称するが、国分寺の頂点にある というべき大和の根本寺に手向山八幡宮を 鎮守と祀ったことは、各国の国分寺に護国 の神である八幡宮を奉ったとしても不思議 はない。いずれにしても各地に国府(分) 八幡宮があり、主としてこの二種の縁起を もっている。当然国司・国衙の崇敬社で、 一国一社、もしくは一道一社の八幡宮と称 する社は同じ縁起の表現を変えたものとし て、ここにあげることとする。

−『神社辞典』−



国分寺の鎮守 東大寺の鎮守神として、奈良の都に進出した八幡宮は仏法を通じて国家の守護 神としての地位が自ずからできてくる。このようにして全国に国分寺が創立さ れると、自ずからその近くに八幡社が勧請されるようになってくる。八幡社勧請の由緒はそれ ぞれ異なってはいるが、殆どの国分寺の近くに八幡社が鎮座しているといってよい。石田茂作 氏の研究[※『東大寺と国分寺』]によってこれをみると次のようになっている。

−『八幡信仰』−

出典:
神社辞典
神社由緒あるいは平成祭データ
兵庫県神社誌
明治神社誌料
玄松子の私見あるいは検討のための覚書


【 国府八幡宮 国分寺鎮守八幡宮 】

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