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西照神社
にしてるじんじゃ
徳島県美馬市脇町西大谷672
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式内社 阿波國美馬郡 田寸神社 |
徳島県美馬市脇町にある。
阿波と讃岐の境に聳える大滝山(946m)の山頂に鎮座。
といっても、車道が整備されており、境内まで車で入ることができる。
僕も一度境内に入り車を停めて、
参道の階段を降って、入口の鳥居から参拝開始。
境内入口の隣には大滝寺があるが、参拝した日には
大滝寺には、大勢の巡礼者が、バスでお参りに来ていた。
参道正面の写真を撮るには、そのバスが邪魔だったので、
しばらく周囲を散策して時間をつぶす。
で、無事に鳥居を撮影し、階段を登って境内へ。
境内には、真直ぐに伸びた見事な巨木。
参道の木々も蒼々としていて良い感じ。
境内の左手に、灯明杉と呼ばれる一本の杉。
日清戦争が布告された夜に、この杉の穂先に灯りがともり、
講和の前日の夜に、その灯りが消えたといい、
日露戦争の時にも、この現象が繰り返されたという。
社殿の前にも古い鳥居があり、拝殿の後方に流造の本殿。
当社の創建は不詳。
社殿前にあった案内では、
夜の食国(九州と四国のことらしい)を統治した月読尊が、
大和や紀伊監視のために、
航海の神・田寸津姫命(宗像三女神の一柱)の部族を率い
伊予から阿波へ移り、大嶽山(大滝山)に櫓を設けて、
瀬戸内海の監視を行ったという。
後、空海24歳の頃、大滝山北面の崖に籠もって修行。
唐に渡る際に、大滝山の航海の神に安全を祈願して、
無事に唐に渡り、帰国後、門弟に別当寺を建てさせて奉仕したという。
大滝山の田寸津姫命を祀ったということから、
式内社・田寸神社の論社の一つ。
明治六年、神仏分離により、郷社となった。
拝殿の右手には、境内社・稲荷神社。
他にも祖霊社や、名前のわからない石祠がある。
『平成祭データ』には、熊野神社と八大竜王社とある。
本殿の屋根に、「丸に西」の紋が付けられていたが、
神紋かどうかは不明だ。
参道入口 | 灯明杉 |
社殿 | 境内 |
拝殿 | 拝殿右の稲荷神社 |
本殿 |
石祠 | その他の石祠 |
西照神社
当社は、徳島県美馬郡脇町字西赤谷に鎮座しており、月読命 市杵島姫命 田寸津比売命 田心比売命をお祀している。式内社田寸神社に擬せられる社。中古より「西照権現」と称したが明治初年に西照神社と改められた。明治六年(一八七三)に郷社となった。藩政時代に稲田家の崇敬厚く、高九八斗を寄進せられ、また高松藩松平家の御名付け所として崇敬せられ、五十石を寄進されたと伝えられる。「日本一社西照神社大滝山本宮」と称し、毎年春、秋二回、厄除際を執行する。なお、この地には、真言宗大滝寺があり、弘法大師が登ったと信じられている。 −『平成祭データ』− |