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十一明神神社
じゅういちみょうじんじんじゃ
兵庫県南あわじ市十一ケ所437
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淡路島の南あわじ市(旧三原町)にある。
南あわじ市三原支所の北西1Kmの十一ケ所に南向きに鎮座。
参道入口に、「一國惣社十一大明神」と記された鳥居が立ち、
200m近い参道を歩くと神門。
神門内が境内で、正面に拝殿。後方に流れ造の本殿。
境内社として、祠が一つと、丸石を祀った石祠が幾つかならんでいるが、
ここの祠の詳細は不明。
創祀年代は不詳。
社伝では、貞観年中に国府が三原郡に設置され、
淡路の諸神を集めた総社として祭られたという。
淡路国の総社なのだ。
拝殿の額には、淡路国式内社13社の中で、
名神大社である、淡路伊佐奈伎神社と大和大國魂神社を除いた
11社の名が掲げられている。
この「11社」が、社名・鎮座地のもと。
大社は別格なので、個々に参詣し、
小社は当社でまとめて参拝するということだろうか。
当時の国司は省エネ参拝だったのかな。
また、淡路国内ではなく以下の三原郡の神々を祀るという説もあるしい。
第一天照太神、第二東左伊弉諾尊西右伊弉册尊、
第三左月読尊岩屋、第四左蛭子湊明神、
第五右素盞鳴野原、第六左淡路廃帝野辺宮淳仁天皇、
第七左扇貴宮国府八幡応神天皇、第八杉尾明神二宮峯本、
第九掃守氏明神宮造、第十久斗明神宮造、第十一守宮荒人神。
拝殿前の賽銭箱に、丸に十一と描かれた紋が付いていた。
神紋かどうかは不明だが、社名から神紋と考えて良さそうな感じ。
参道入口の鳥居 | 神門 |
境内 |
拝殿 | 境内の石祠 |
拝殿扁額に十一社名 |
境内社 | 本殿 | 石祠内の丸石 |
淡路一国総社十一大明神縁起
右当十一大明神は 当国総社と崇尊して延喜式に載せられたる霊社
にして古昔祈年祭等に国幣を奉られ国司以下散斎致斎して会祭し給
えり貞観年中国府を三原郡に定め給い国中に散在せる諸社を此地に
卜し定めて総社と崇め奉る所なり 神祇官衰微してより中古の国司社
領をさえも滅損して古伝を失いたりといえども本社の基址厳然として
猶存し古社の絵図及神像歴然として顕存す 永禄元年社僧長寿院宥怡
の筆なりという当社の縁起を伝えたり 其概略を摘むに曰く 十一明神
は神代の昔 天照大御神の大御言を以て 八百万神達を神集に会め給い
て荒振神達を平治しめ給う地にて此邪神四海に充満て大八洲六十
余洲五穀不穣大御神ここをもて天児屋根命に勅して悉く平治し給う
是より禾穀豊熟して万民栄を楽しむ 其後神功皇后の御時西海の夷狄
襲い来りて宇内また静かならず 応神代天照大神を初とし大廟の神
を十一社に祭り給いて西夷鎮護並三韓出兵の祈願奉せられ神功皇后
自ら祈願を籠めて奇瑞を蒙り給い帰朝の後 瑞垣を修理し給う所なり
故に皇軍出陣御首途神の祝い奉る所なり 其後大炊天皇の御時 宝字
大上天皇僧道鏡等の為に当国に御遷幸あらせ給えるに辱くも当地に
行宮を営造あらせられ 当社に行幸ましまし奉幣し祭奠厳にして夏中
の法施㝡勝講などあり国家安泰万民の快楽を祈る依りて一国総氏神
と称して崇敬し毎年十一月十一日祭礼の日諸方氏子の頭今に断ぜず
御柴と名付けて調達すること常例なり 当国兵乱の後 神領を失いて
より神殿等古の十が一分にだも及ばず本地堂拝殿鐘楼客人社神楽殿
等皆朽損に及びぬ唯社地の古図旧記等纔に存して今に及べり ここに
別当社僧等大願を起し本殿に修理を加え 総社の神号を弘め 四海奉平
の基を開き神徳を万民に輝かさんとす 抑 当社の濫觴は邪神退散の
始に起り 異国出兵の首途に栄え百穀豊熟の祈願に成るなれば 当社の
繁栄は実に国家の繁栄になるなり 願くば内外の瑞垣を清潔にして
永く国土の鎮撫たらんことを 故に 当社の略縁起を録して諸人渇仰
の扶を祈るという−境内石碑より− |
【 十一明神神社 (南あわじ市)(印刷用ページ) 】