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在田神社 有田八幡神社
ありたじんじゃ ありたはちまんじんじゃ
岡山県笠岡市有田字宮ノ前2270  Zenrin Data Com Maps display !!

式内社 備中國小田郡 在田神社

御祭神
在田神社 苅田彦命 苅田姫命 宗像神
有田八幡神社 応神天皇 神功皇后 玉依姫

岡山県笠岡市にある。
広島県との県境の近く、山陽新幹線が高架になって、
3号線と交叉する場所から少し東へ行くと、
南向きに、背丈の低い鳥居があり参道入口になっている。

鳥居の脇に案内板があり、
笠岡十名山「神之峰」登山案内図が記されていて
そこから徒歩で12分ほどで境内に到着できるようだ。

地図を見ると、東側から回りこむように道があり
車が通れそうなので、そちらへ向ってみた。
狭い道に車を入れ、ゆっくり進むと、境内の北側にでた。

車を停め、参道を眺めると、良い雰囲気の石段だったので、
下りてみると、神門が建っていた。
ということで、神門から再度参道階段を登って参拝開始。

階段を登ると、正面に拝殿があり、後方に本殿。

鎮座地は、中世には陶山庄と呼ばれていた場所。
当社には、在田神社と有田八幡神社が祀られている。

在田神社の創祀年代は不詳。
式内社・在田神社に比定されている古社である。

有田八幡神社は、鎌倉時代に陶山藤三義高により勧請された
坪生庄新中八幡神社から、争いがあったため、氏子十八郷の中
十三郷をもって分社したものらしい。
その争いのとき、奪って持ち帰った太鼓が現存するという。

境内の右手が広くなっており、
一段高くなっている場所に瓦が積まれていた。
境内社が祀られていたような場所だが。

境内地を含む山腹には、貝塚遺跡が分布しているという。


参道入口

参道神門

参道

参道神門

境内

拝殿

本殿

なんだろう

在田神社・有田八幡神社の由来
当神社には、在田神社と有田八幡神社が 合祠されている。
在田神社の創建は不詳であるが、平安時代 の中期(九〇〇年頃)の延喜式神名帳に記 載されている式内社である。位階は嘉祥四 年(八五一)正六位上、貞観元年(八五九) 従五位下で、備中郷社五の宮である。
在田神社の主祭神は苅田彦命・苅田姫命 (坂上苅田麿呂・阿知使主の末裔で鉄鉱及 び水銀採掘の犬一族の神)で、併神は宗像神 (国家鎮護と海路安全の神)である。
一方、有田八幡神社の祭神は、応神天皇神功皇后玉依姫の三神であり、鎌倉時代 に陶山藤三義高の勧請により、坪生庄新中 八幡神社より氏子十八郷の中十三郷をもって 分社したものである。
十三郷とは、有田、押撫、篠坂(備中坪生 を除く)、入田、用之江、茂平、大=A吉浜、 生之浜、西浜、大河、木之目、西大戸の各村 で、寛政五年(一七九三)建立の大鳥居に 「大氏十三ヶ村寄進」と刻まれている。
本殿は、明暦二年(一六五六)四月に 再 建したものである。

−社前案内板−



【 在田神社 有田八幡神社 (笠岡市)(印刷用ページ) 】

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