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素盞嗚神社
すさのおじんじゃ
広島県福山市神辺町上御領602  Zenrin Data Com Maps display !!

式内社 備後國深津郡 須佐能袁能神社
式内社 備後國安那郡 多祁伊奈太伎佐耶布都神社

御祭神
素盞嗚命

広島県福山市にある。
井原鉄道・御領駅の北500mの上御領に鎮座。
313号線から北へ入った場所に、南向きの境内がある。

313号線の北側にある道路沿いに参道入口があり、
灯籠が建っており、「御領大石 登山道入口」という案内がある。
その足元には、「延喜式内 多祁伊奈太伎佐耶布都神社」
「御領八丈岩」と刻まれた二本の石碑。

参道を進むと境内。
入口の鳥居には、「天王宮」と刻まれた扁額。
当社は、地図には「天王神社」とあり、
旧称は天王社、通称は天王さんというらしい。

境内の奥に社殿があり、後方に流造の本殿。
境内には、幾つかの石が祀られており
石の上に小さな祠があるが、詳細は不明。

天平年中(729〜49)、
備後国司・小治田諸人の創建と伝えられる古社。
古くは、備後国内の大社の一つであったが、
応仁年中(1467頃)社殿大破におよび、
氏子等が小社を建てて、旧跡を守ったという。

永禄年中(1558〜70)、毛利元就により再建を命ぜられる。
『水野記』によると、杉原盛重が社領三貫を寄進したが
福島正則に没収されたという。

社名「素盞嗚神社」からわかるように
式内社・須佐能袁能神社の論社の一つ。
昭和27年には、神社本庁に対して
当社が須佐能袁能神社であるという明細書が提出されているらしい。

ところが、参道入口には
「延喜式内 多祁伊奈太伎佐耶布都神社」と
刻まれた石碑が建っている。
多祁伊奈太伎佐耶布都神社は岩屋権現であるという説が有力だが、
神辺町竹田や神辺町八尋にあったという説もある。
当社も論社の一つなのだろうか。

境内の左手に、社殿が一つあるが、なんだろう。
『広島県神社誌』には、当社摂末社に荒神社が記されているが
これが荒神社だろうか。

当社境内左手の道を登っていくと、八丈岩がある。
2〜3Kmほどの距離がありそうなので
登ってはいないが、御領山の八丈岩には
鬼に関する伝説が残っている。

昔、御領山には栗の木が多く、隣りの権現山には石が多かった。
両山には鬼が住んでおり、ある時、山の高さで喧嘩となり
御領山の鬼は栗の木を、権現山の鬼は石を投げあったので
御領山の山頂には岩が積みあがり、
権現山には栗が多く育つようになったという。


参道入口の灯籠

石碑

参道

社頭

境内

本殿

社殿

境内社

これは荒神社?


【 素盞嗚神社 (上御領)(印刷用ページ) 】

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