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越中白山総社
えっちゅうはくさんそうじゃ
富山県富山市中野新町2−1−33
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旧郷社 |
富山県富山市にある。
富山駅の南2Kmほどの中野新町に鎮座。
社前を南北に走る43号線には、路面電車(富山市内軌道線)の線路も走っており、
境内入口は43号線に面して西向き。
境内入口に「郷社白山神社」と刻まれた社号標が立っており、
『明治神社誌料』にも「白山神社」とあるが、
『富山県神社誌』には「越中白山総社」と記され、
境内の由緒書きでは昭和二十二年に改称されたとある。
鳥居をくぐり参道を東に進むと、もう一つの鳥居。
その鳥居をくぐると左手に手水舎があり、正面に社殿。
拝殿は瓦葺入母屋造で、後方の本殿はコンクリートの覆屋の中。
拝殿の前には、宝来石鍋は置かれている。
明治十年、富山市内でコレラが大流行した時、当社の氏子には病人が出なかった。
この御神徳に氏子達は宝来山(曳山)を曳いて感謝していたが、明治三十二年の大火で焼失。
昭和三年、御大典の時に再現されたが、戦災で焼失。
宝来山を後世に伝えるために奉納された石鍋らしい。
病気には霊験があるが、火災には弱かったのだろうか。石鍋なら火災にも安心だ。
創祀年代は不詳。再三の炎上により古記録も残っていないらしいが、
往古、新川郡太田の保、布市村に勧請され、
後醍醐天皇延元年間(1336〜1340)には白山妙理大権現と称されていたという。
その後、中野の古宮の地に奉遷し白山比咩社と称し、
正親町天皇元亀二年(1571)現在の中野新町に遷座した。
天文元年(1532)、越中の士族水越越前守勝重が富山城を築城以来、
神保氏、佐々氏の崇敬篤く、慶長十年前田利長公が富山城に入城するや、
城南福門の守護神として崇敬された神社。
「越中白山総社」の社名から、越中國の白山神社の元締め的神社だったのだろうと連想される。
萬治年間(1658〜1661)の富山最古の地図には富山三権現の一社として描かれていた。
享保十七年(1732)本殿、拝殿を造営。明治十四年八月郷社に列せられた。
狛犬の台座や社殿の屋根、拝殿の提灯などに輪宝紋が付けられていた。
当社の神紋は輪宝紋なのだろう。神仏混淆の名残りだろうか。
社頭 |
手水舎 | 境内の鳥居 |
境内 |
拝殿 | 宝来石鍋 |
境内社殿 |
本殿覆屋 | 拝殿 |
狛犬台座に神紋「輪宝」 | 提灯に神紋「輪宝」 |