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加積神社
かづみじんじゃ
富山県滑川市上小泉1362  Zenrin Data Com Maps display !!


祇園守

旧村社

御祭神
素盞嗚命

富山県の滑川市にある。
滑川駅の南1Kmほどの上小泉に鎮座。
滑川市消防署のある135号線の交差点から100mほど南に入った場所。

境内入口は南向き(やや西)。
鳥居前の道の南、木の陰に石碑などが立っている。
「加積神社」と扁額の掲げられた石鳥居をくぐると整備された境内。
参道正面にガラス張りの社殿がある。

境内左手に薬師堂があり、右手が社務所や神庫だろうか。
拝殿は瓦葺入母屋造。拝殿後方の本殿は覆屋の中。
本殿背後に木々が植えられているが、新しい感じで細い。
昔は鬱蒼としていたんだろうなぁ、と考えながら参拝した。

『富山縣神社誌』によると、創祀年代は不詳。
かっては両部習合した七堂伽藍の大社にして、
櫟原神社に匹敵するほどであったという。

松倉城主椎名右衛門督が武運長久の祈願所とし
多くの宝物の寄進があったが、兵火によって焼失したらしい。
社宝として伝わっている四体の木像では
鎌倉時代の作と推定されているので、鎌倉以前の古社なのだろうか。

ところで、『三代実録』に貞観十五年(八七三)十二月十五日、
「越中國賀積神並從五位下」と、賀積神に対する神階の件が載っている。

手持ちの資料では、賀積神は魚津市の宮津八幡宮であるらしいのだが、
昔の加積郷は、魚津市、滑川市、上市町であったようで、
富山県の「加積」という文字の付いた神社が滑川市に、
上小泉の当社・加積神社、加島町の加積雪嶋神社、
下梅沢の加積郷神社、堀江の中加積神社の四社ある。
ひょっとしたらこの中に「賀積神」があるのかもしれないと思った。

加積雪嶋神社は元亀二年の創立で、往古から加積雪島神社と称し、
櫟原神社が東の宮というのに対する西の宮。
加積郷神社は由緒不詳で、八坂社(下小泉か)の末社。
中加積神社は神明社に八坂社を合祀し、明治に中加積神社となったもの。

結局、この中に「賀積神」が有るのか無いのかわからなかったが
古くから加積神社と号している当社に参拝してみた。

あるいは、加積郷の大社であった櫟原神社は『三代実録』などの六国史に記載がなく、
「賀積神」は櫟原神社なのかもしれない、などとも考えてみた。

拝殿前の賽銭箱に祇園守の金の神紋が付けられていたので、
上記神紋として掲載してみた。
祇園守は京都の八坂神社の護符の筒守を象ったもので、祇園神崇拝に基づく紋章。


社前に石

南無阿弥陀仏

社頭

鳥居

境内左手に薬師堂

境内社殿

本殿は覆屋内

拝殿

拝殿扁額

賽銭箱に祇園守紋

加積神社
鎮座地滑川市上小泉一三六二
祭神素盞鳴尊
春祭一月十四日
秋祭十月二十四日
宮司旦尾嘉孝
境内地三二六坪
氏子数三四八戸
由緒沿革 勧請年期不詳ト雖モ古昔ハ加積神社ト相 称シ両部習合セ七堂伽藍ノ大社ニテ櫟原神社ニ対シ テ著シキ大社ニシテ神人社僧多ク奉仕シ尤基砂當国 松倉城主椎名右衛督武運長久ノ祈願所ナルヲ以テ寄 附寄進ノ宝物夥シク有之シモ数多ノ兵火ニ消亡シ然 ル内椎名家ヨリ被付置候社領奉納ノ古書一通ヲ存在 ス則書面加積神社ト有之基遣跡トスル田畑ニ若干基 字数十ケ所有之旦又御神体並両矢大臣ノ大体干今存 ス是亦数百年経歴ノ鑑識アリ依テ概ネ由緒如件
(旧社格 指定村社)

−『富山縣神社誌』−



【 加積神社 (滑川市)(印刷用ページ) 】

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