[HOME] > [神社記憶] > [北陸地方] > |
|
草岡神社
くさおかじんじゃ
富山県射水市古明神372
|
||
式内社 越中國射水郡 草岡神社 |
富山県射水市にある。
富山新湊に突き出た古明神に鎮座。
415号線からまっすぐに西へ入った道路の南側に境内がある。
周囲には火力発電所などがある場所。
日の出の頃の参拝で、当初境内は無人だったが、
撮影していると、近所の方が、参拝に来られた。
この周囲は、古代には富山湾と干潟に挟まれた場所で、
湿地であったと考えられているが、
一説には、弥生時代の水位はもっと低かったようで、
現在よりも広い平野であったとも言われている。
富山湾の海底には、多くの海底林があり、当時の平野部の広大さを
示しているという。
創建年代は不詳。
式内・草岡神社の論社で、江戸時代までは加茂明神と称していた。
地名の古明神も、当社の存在によるものだろうか。
文化八年棟札にある、祭神・玉依姫命は、加茂社だった頃の名残り。
『神名帳考證』の彦坐命は、草岡の社名から、日下部氏祖神と考えたもの。
合祀の事代主命は、境外末社・恵比須社祭神であったが、大正時代に本殿に合祀した。
境内の神馬像に、違い槌の紋が付いていた。
祭神・大己貴命(大国主命)の持物からつけたものだろうか。
明治の頃の境内は、206坪と、非常に狭かったようだが、
現在は、1800坪近くあるらしい。
鎮座地のせいか、境内の木々はあまり多くはない。
西側正面の鳥居 | 拝殿 |
社殿 |
境内北側の鳥居 | 本殿はこの中 | 神馬像の神紋 |
創建の由来は不明である。社傳によれば、 古老ノ口傳ニ云、神代ノ昔、草岡ノ地所、万三四里ア リテ、草木繁茂シ、悪蛇毒虫ノ巣窟ニシテ、人民恐レ ヲナシ、敢テ近依ル者アラズ。時ニ大己貴神、此地耕 耘ニ適シ、地味良好ナリトテ、鍬ノ御矛ヲ以テ切伐開 墾シ、以テ土民ニ恩顧ヲ蒙ラシメ玉フ。其後数十年ヲ 経テ大己貴神ノ神霊ヲ該地ニ勧請シ、草岡神社ト稱シ 奉リシ由。 −『式内社調査報告』− 創建年代詳ならず、延喜式に草岡神社とある社にして、神名帳考證にも「彦坐命、姓氏録に日下部宿禰、彦坐 命之後池」、とあり、越中遊覧誌中に、 「草岡神社宮北に在り、大己貴命を祀る、延喜式の草岡神社是也、古より草岡郷四十九ケ村の産土神なり、」と あり、又加能越三州志に曰く、「草岡神社は通略に倉垣庄神明村に在り」と、又上政上記に「戸破村に在り、加茂 明神と稱すともありて、往古より草岡郷四十九ケ村の産土神として此に祭られ、いと盛なる社なりしなるべ し。 神祇全書に「今堀内村と云ふ、式内草岡神社は堀岡村の大明神なり」とあり。 斯くて明治六年八月に至り郷社に列す、建物は本殿、拝殿、神楽殿等あり、境内二百六坪(官有地第一種)を 有せり。 −『明治神社誌料』− |
【 草岡神社 (射水市)(印刷用ページ) 】