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高岡関野神社
たかおかせきのじんじゃ
富山県高岡市末広町9−56  Zenrin Data Com Maps display !!


梅鉢

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式内社 越中國射水郡 加久彌神社二座
式内社 越中國婦負郡 熊野神社
旧県社

御祭神
天照皇大神 國常立尊 伊弉冉尊 稲荷大神 前田利長命 菅原道真命

富山県高岡市にある。
高岡駅の北西500mほど、駅に近い繁華街にある。
参道入口は北西側にあるようだが、
商店街などをブラブラとしながら参拝し、
参拝後もブラブラとしていたので、正確な記憶が無い。

境内に入ると、どっしりとした社殿と、
思ったよりも広いという印象。

拝殿後方には、3つの社殿が並んでいる。
当社は、高岡神社、関野神社、加久彌神社が合体したものだが、
どの社殿がどの神社なのか、確認し忘れてしまった。

とにかく、この社にに関しては、記憶が心もとないのだ。
だから、四年も経過した平成十八年に掲載。
あるいは、四年も経過したから記憶が薄れているとも。

大正八年、郷社・関野神社と、
その境内にあった県社・高岡神社、加久彌神社が合体して、
高岡関野神社となり、現在に至る。

郷社・関野神社は、『明治神社誌料』によると
祭神伊弉冉尊速玉男命事解男命
相殿に素盞嗚尊加具土命を祀る神社。
往昔は、射水郡と婦負郡の境の熊野山に鎮座し、
熊野神社と称していたが、
村上天皇天暦二年、射水郡岡野郷(下関町)に遷座。
慶長十四年、前田利長による高岡城築城に際し、上関へ遷座。
さらに、文化三年に現在地に遷されたという。

県社・高野神社は、『明治神社誌料』によると
祭神稲荷大神・前田利長公を祀る神社。
元は稲荷神社と称しており、前田利長築城の際、
城内に稲荷大神を勧請したもの。
慶長十九年、利長公薨去の後、利長公を合祀し、
関野神社境内に移転した。
明治になって高岡神社と改称し県社となった。

で、由緒がよくわからない加久彌神社。
式内社・加久彌神社の論社とする説もあるが、
明治になって、同地にある
関野神社が郷社に、高岡神社が県社になったが、
加久彌神社のみは無格社だった。
資料によると、慶長九年、前田利長が加久彌神社を
関野神社境内に遷し、熊野社と称したとも。
また、享保十一年神明宮と改称したとも。
関野神社境内に遷される前は、中川(高岡駅北東)にあったという。
あるいは氷見市神代の加久彌神社からの勧請だとも。
つまり、はっきりしていない。

社殿の屋根には、梅鉢紋。
当社の神紋は、前田家の家紋だ。

境内にはいくつかの境内社がある。
大国社しか確認できていないが、
奉安殿に、黒い大黒像があったのは覚えている。


参道

境内

拝殿

本殿

本殿後方から

本殿左の社殿

本殿右の社殿

参道入口の赤鳥居

大国社

奉安殿の大黒様


【 高岡関野神社 (高岡市)(印刷用ページ) 】

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