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宇佐八幡宮
うさはちまんぐう
富山県南砺市福光6866  Zenrin Data Com Maps display !!


三つ巴

旧郷社

御祭神
誉田別命 息長帯日賣命 誉田別比賣命
配祀
火産霊命 彌都波能賣神 大國主命
菅原大神 倉稲魂神

富山県南砺市にある。
城端線福光駅の西1Kmほどの福光に鎮座。
304号線を西へ進み、小矢部川を渡って10号線(本町通り)を南下すると、
福光公園に隣接して、東向きに石鳥居があり、
石鳥居の右脇に「郷社宇佐八幡宮」と刻まれた社号標が立っている。

鳥居をくぐり、参道を進むと木製の鳥居。
その鳥居の奥に、東向きの社殿がある。
拝殿は銅板葺き入母屋造。本殿は拝殿の後方に内包されている形式。
拝殿扁額には「宇佐八幡宮」と記されている。

境内の右手に、お堂のような建物があるが、何なのかは未確認。
以前は寛仁寺が支配していたらしいが、その名残りだろうか。
『平成祭データ』には境内社として火伏神社、医王権現社、刀利神社の名が記されている。

社殿の後方、というか境内の周囲をお濠のような池があり、その東側が福光公園。
福光公園を少し歩いてみたが、緑と水が豊富な公園で気持ち良い。
ひょっとすると昔は当社の境内だったのかも。

社伝によると、人皇四十五代聖武天皇の御代、天平勝宝二年(750)
大友家持が当国守に任ぜられた時、その子・大伴持豊が福光城にて、
石黒庄総社として、宇佐より分霊を勧請。

古来、痘瘡の守護神として崇敬され、
寛仁元年(1017)、寛仁寺が建立され、爾来社僧の奉仕するところとなる。
寿永元暦の頃より、石黒太郎義福満五郎などの豪族の崇敬深く、
慶長年間より前田藩主の祈願所となる。

天保十四年(1843)再建、明治六年八月郷社に列した。

当社の神紋は八幡宮の代表紋である三つ巴だと思う。
社殿の屋根や賽銭箱に三つ巴の飾りが付けられていた。


社頭

境内

境内の鳥居

境内

社殿

社殿

社殿斜め後方から

お堂(何かは未確認)

南砺市福光公園から境内

井桁の泉

境内周囲に濠

当社から南へ10号線を南へ歩くと、巴塚がある。
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砺波山合戦の勇将巴御前が木曽義仲敗死の後、
越中に来て石黒太郎光弘に奇食して尼となり
兼生尼と号し、91歳で入寂、遺体を葬り一本松を植えたという巴塚。


巴塚と一本松


【 宇佐八幡宮 (南砺市)(印刷用ページ) 】

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