[HOME]  >  [神社記憶]  >  [甲信越地方]  >
メニューを表示する 表示用ページ


居多神社
こたじんじゃ
新潟県上越市五智6−1−11  Zenrin Data Com Maps display !!


三つ巴

式内社 越後國頸城郡 居多神社
越後國一宮
旧県社

御祭神
大国主命 奴奈川姫 建御名方命 事代主命

上越市内、直江津駅の西。五智公園の東にある。
境内は広く、立派な佇まいだ。

社殿は東向き。
午後の参拝だったので、日光を背にしており、写真は暗くなってしまった。

創祀年代は不詳。

旧国府にある、ということで、越後一宮とされている神社。
式内社・居多神社に比定されており、
一説には、持統天皇の御代、官幣に預かったという古社。
弘仁四年には従五位下、貞観三年に従四位下を授かったという。

社名を「ケタ」と読むという説があり、
式内社としてはケタのようだ。
能登の気多大社越中の気多神社と同じ、出雲系統の神社なのだろう。

もとは日本海近くの身輪山に鎮座していたが、
海岸浸蝕により、貞和年間(1345〜1349)社地が陥没、
慶応二年(1868)、社地が崩壊したので
明治十二年五月、現在地に遷座された。

明治五年五月柏崎の郷社に列し、翌六年五月県社に昇格。
その後、国幣社への昇格運動を行ったが、戦争によって沙汰止みとなった。

境内社は、石祠の稲荷社と雁田神社。
雁田神社は懐妊・安産・夜尿症治癒・性病治癒の神。
ようするに下の神。殿内には陰陽の石が奉納されている。


鳥居

社殿

境内の稲荷社

境内社殿

拝殿

本殿



拝殿

境内の雁田神社
懐妊・安産・
夜尿症・性病治癒の神


内には陰陽石
女陰石と男根石

大国主命沼河姫命への妻問の歌石碑

祭神像

居多神社 新潟県上越市五智。旧県社。 大己貴命を主神に奴奈川姫命事代主命を配祀する。 古くは媼嶽(おうなだけ)明神 または居多明神といい、目本海に面した 居多浜村岩戸浦山の半腹にあったが、貞和 年間(一三四五―四九)社地の陥没にあい、慶応 二年(一八六六)更に山崩れを被り、現地に遷 移したという。このあたりは国府の所在地 であり、従って国司の尊崇をうけ、当国一 宮として社運隆盛をきわめた。気多神社と 系統を同じくするものであるとされ、社名 を「ケタ」と訓むのを正しいとする説もあ る。寛平九年(八八七)に従四位上に叙せら れ、延喜の制小社に列し祈年の国幣をうけ ている。その後、武家及び領主等の尊崇が 篤く、江戸時代にいたっては徳川家康が一 ○○石の朱印領を下し、累代将軍同族がこ れを安堵した。なお高田藩主松平氏・稲葉 氏・榊原氏等の尊信はきわめて深いもので あったという。明治六年(一八七三)県社に昇 格する。例祭五月一一日。

−『神社辞典』−

越後一の宮
こた
居多神社
祭神 大国主命
奴奈川姫
建御名方命
祭典 例祭 五月三日
講社大祭 八月十九日・二十日
由緒 弘仁四年(八一三)に従五位下を、貞観三年 (八六一)に従四位下を朝廷から賜った。延長 五年(九二七)の「延喜式」神名帳に記載された 式内社である。越後国司・越後守護上杉家・上杉 謙信の厚い保護をうけ、越後一の宮として崇敬さ れてきた。今日、縁結び・子宝祈願の神として信 仰されている。
宝物 居多神社文書・狛犬(上越市指定文化財)
親鸞聖人御旧蹟
親鸞聖人日の丸御名号・御詠歌
越後七不思議「方葉の芦」
境内社
雁田神社 祭神 高皇産霊神神皇産霊神
子宝・安産の神
稲荷神社 祭神 倉稲魂命(商売繁昌の神)

−『境内案内』−



【 居多神社(印刷用ページ) 】

ボーダー




no index