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黒姫神社
くろひめじんじゃ
新潟県柏崎市高柳町岡野町586
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式内社 越後國三嶋郡 鵜川神社 |
新潟県柏崎市にある。
252号線のそば、岡野町に鎮座。
「貞観園」という観光名所の近く。
通称は黒姫宮といい、西にある黒姫山(890m)の里宮である。
黒姫宮に山宮(祠)があるらしい。
江戸時代の名園「貞観園」は夏季のみの公開らしく、閉まっていた。
黒姫山の山宮は鵜川神社といい、式内社・鵜川神社の論社。
当社・黒姫神社は、その里宮であるが、
社伝によると、応永二年五月二日、
山頂にあった鵜川神社を勧請して創建されたらしい。
祭神は、鵜川神社としては水の神、罔象女命。
黒姫山の山の神として、黒姫神ということらしい。
黒姫神は奴奈川媛の母であるとする説や、
また、黒姫神は黒媛という説もある。
拝殿屋根に紋があったが、拝殿内幕には違う紋があり、
幾つかの紋が混在していた。
参拝中、宮司御夫妻が外出するところだったので、
立ち話で質問すると「神紋は特にありません」ということ
寄進者が、それぞれの紋を付けたらしい。
これまで、神職不在の場合、神紋を社殿や幕などで決めていたが
こういうこともあるのだ、と考えさせられた。注意しよう。
鳥居 | 社殿 |
社殿 |
本殿 | 拝殿扁額 | 本殿 |
拝殿 | 境内社 |
黒姫山頂の鵜川神社の祭祀を管掌する同町
大字岡野町五八六(字宮原)の黒姫神社(宮司 大倉忠政氏)
は、山頂鵜川神社の祭神と黒姫神の二柱を主祭神とするが、
前掲棟札並びに家譜によれば、應永二年黒姫山頂鵜川神
社造替、同三年當所の拝殿を造替したとある。家譜には大
倉隆景の先代大倉孫七郎朝隆の代に現岡野町に住したといふ。 同社由緒書は、「應永二年五月二日、高尾村(黒姫山)鵜 川神社の分靈を勧請し創建す。本宮は山頂にあり。深雪の ため秋十月より春五月迄は参拝しがたきを以て、當社に 於て祭典を執行すといふ。寶永四年(一七〇七)十一月三 日瑞殿造立、天和檢地に除地、天保三年十月、三石七斗六 升社地二反歩除地、昭和四十六年、屋根銅板葺」とする。 『柏崎文庫』(關甲次郎著)に「神祇志料に奴奈川彦命の女 奴奈川媛命は、大己貴命の妃となりて建御名方命を生む。 一説に云ふ。黒媛命は奴奈川媛の母にして、其祠頸城郡黒 姫山(梯立村)に在り。按ずるに黒姫命は信濃に生まれて越の 奴奈川彦に嫁ぎて奴奈川姫を生みしか、奴奈川彦命・黒姫 命・奴奈川姫命・大己貴命・建御名方命等いずれも信越間 の有力者たり。其末に大神氏あり、祖神を大己貴とす。大 岡氏の一族信越の間に大己貴命、建御名方命及び黒姫命・ 奴奈川姫命を祀る。頸城郡黒姫山奴奈川姫の遺跡附近に大 岡神社あり。刈羽郡岡野町、もと於保賀庄といふ。東鑑に 越後大神庄、前齋院御領とあり、後岡の町につくる。大同 類聚方・居多神社の條にも大神氏の事見ゆ。當山下大神庄 に住せし大神氏の族、其祖神をまつり、黒姫山と稱せしな り、堂守大倉氏」、また「しかるに其後式内鵜川神社の正 蹟を論ずる神主等、鵜川神社より立論して祭神を罔象女命 とす」と提言している。 −『式内社調査報告』− |
【 黒姫神社 (鵜川神社里宮)(印刷用ページ) 】