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水嶋礒部神社
みつしまいそべじんじゃ
新潟県糸魚川市大字筒石464
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新潟県糸魚川市にある。
筒石、8号線沿いの丘の上にあるが、8号線からは入れない。
狭い境内に社殿がある。
拝殿の中に本殿がある形で、東向き。
千木が並んだ社殿が、変わった感じだ。
創祀年代は不詳。
筒石の産土神で、式内社・水嶋礒部神社の論社。
上杉謙信の能登七尾城攻撃の際に祈願したという。
江戸時代までは諏訪大明神と称されていたが
文化十一年(1814)、吉田家の許可を得て
水嶋礒部神社に戻したという。
明治の頃は無格社だったようだが、
大正十四年七月一日、村社に昇格した。
「諏訪大明神」ということで、神紋は諏訪梶。
境内 |
拝殿 | 拝殿 |
北側の鳥居 |
創立不詳、筒石の産土神。上杉謙信が能登七
尾城攻撃の際、當社に祈願したと口碑に傳へる。寛文五年
(一六六五)に焼失。享保六年(一七二一)、文政十三年(一
八三〇)、嘉永七年(一八五四)の數度にわたつて再建した
と口碑にある。諏訪大明神と稱してきたが、文化十一年に
吉田家の許可を得て當社號に復した。慶長九年(一六〇四)
以前より除地九石三斗七合を附與されてゐた。大正十四年
七月一日、村社に昇格。『越後頸城郡誌稿』に「又筒石村
ノ義ハ海邊荒磯ニシテ、磯邊近ク岩礁ノ島アリ センコク島ト云、
其島ノ内ニ泉ノ湧出ル處アリト云ハ、水島磯邊ノ名稱空カ
ラサル景況ナリト雖トモ、正シク是ヲ其古跡トスル證據ナ
ク、唯附會想像ノ説タルニ過キス」の如く、式内社古跡と
する證據は何もない。
−『式内社調査報告』− |
【 水嶋礒部神社 (筒石)(印刷用ページ) 】