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矢津八幡宮
やづのはちまんぐう
新潟県五泉市矢津1896  Zenrin Data Com Maps display !!

式内社 越後國蒲原郡 長瀬神社

御祭神
誉田別命
配祀 息長足比賣命 玉依比賣命

新潟県の五泉市(旧村松町)にある。
五泉駅の南5Kmほどの矢津に鎮座。

河に面して境内入口があり、
緩やかな階段の上に赤い鳥居が立っている。

当社に到着した頃、雨が本降りになってきて、
しばらく車の中で雨がおさまるのを待っていたが、
なかなか小止みにならないので、あきらめて参拝開始。
雨に煙る神域は、靄に霞んで良い雰囲気だったが、
傘をさしながらの撮影は、なかなかイライラするのだ。

階段を上り、暗い参道を、
滑らないように注意して歩くと正面に社殿。

拝殿の後方には、本殿を覆う建物があり、
中には流造の本殿。
案内によると寛文元年(1661)に建てられたものらしい。

社伝によると、大同二年(807)の創建。
坂上田村麻呂の東夷征伐の折、戦勝を祈願して
八幡を勧請し、創建されたという。

天喜五年(1057)阿倍貞任の叛乱に対し
源義家の征討の際、当社に戦勝を祈願したとも言われ、
源義家が弓箭を奉納したことから、当地を矢津と呼ばれるようになった。

式内社・長瀬神社の論社の一つ。
『越後國式内神社案内』には、
「如何トナレバ、社頭ヨリ巳午ノ方ヘ、
畑中ニ土居ノ如ク、高廿丈余計ノ
長瀬拾丁余モ是有、是萬代不易ノ瀬也、故ニ爾云」
とあるらしい。

当地・矢津には縄文遺跡・矢津遺跡などがあり、
早くから開発されていた地域だという。

八幡宮なので、神紋は三つ巴だと思われるが、
確認し忘れてしまった。(雨が激しく降っていたせいにする)


境内入口

鳥居

社殿

本殿の覆屋

社殿

本殿

矢津八幡宮
祭神 誉田別命
息長足比賣命
玉依比賣命
由緒 大同二年
坂上田村麻呂東夷征伐の折、戦勝 を祈願し正八幡を勧請して従五位の 上兵部大夫廣継をして之を守護せ しむ。

天喜五年
阿倍貞任一族奥羽に叛乱し源義家 勅を奉じて征討の途次戦勝を祈り 願文を捧げ凱旋するに及び朱印の地 を寄進す。

寛文元年
村松藩主堀直吉封内式社に列し 社殿を改造す是即ち現存のものなり。

往古より菅名庄の総鎮守にして旗立 明神とも称せられしは義家弓箭を奉 納せしにより此地を矢津と称するに 至る。

−境内入口石碑−



【 矢津八幡宮 (五泉市)(印刷用ページ) 】

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