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紀倍神社
きべじんじゃ
福井県坂井市坂井町木部新保22−44
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福井県坂井市にある。
北陸本線・丸岡駅の西7・8Kmの坂井町木部新保に鎮座。
九頭竜川河口部から7Kmほど遡った場所で、
九頭竜川の東岸。
境内入口は南側。
鳥居をくぐると広い境内があり、
中央に北に真っ直ぐにのびる参道。
参道の先に、境内の北奥に
コンクリートの社殿が立っている。
参拝は五月の連休。
境内右手には、青いシーソーが一つ。
左手に桃色の花をつけた樹木があったが名前はわからない。
創祀年代は不詳。
一説には、大同元年(806)の創建という。
延暦・大同の頃、当地一帯は茫々たる湿地芦原であった。
その中央の大淵に水鬼が住み、人々を寄せ付けなかった。
そこで、山城国上賀茂の別雷神を勧請。
その後、寺沢常春の霊夢により
大同元年、勅命により比叡山より僧等が遣わされ、
水鬼が退治されて、当地が開拓されたという。
ということで、明治になるまで加茂神社と呼ばれていたが、
明治十五年九月、紀倍神社と改称した。
式内社・紀倍神社の論社の一つだが、
天正年中・兵火にかかり旧記等は焼失し記録は残っていない。
社殿の左右に境内社がいくつかあるが、詳細は不明。
また、寛文年中に当社境内に創建された
館宮神社・白山神社は、その後、境外に移されていたが、
明治四十二年、当社に合祀された。
境内入口 | 社殿 |
境内 |
本殿 | 拝殿 |
境内社 | 境内社 |
紀倍神社
大同元年勅使により比叡山三千坊の内月僧等二百 余人下向此芦原を開拓し七堂伽藍並祈願所を建立 して此の明神を鎮座し奉る。其の由湊聞あり。 神領三百三十三石等を下し賜わり勅願所同様の御 扱いとなる。 此れより毎年九月十九日北国の菊祭りと称し當国 無双の大祭を営む。後當国大守朝倉家特に崇敬あ り、其の一族向駿河守當村に於て壱万石を領し常に 明神を尊崇し神器等を寄付し郷中の総社として 旺んを極めしも天正織田信長の一揆征伐に際し 総て焼失し、後ち柴田勝家公によりて再建せら れたり。 加茂神社と号せしを改称して今日に至る。 例 祭 九月十九日 昭和二十三年北陸大震災により神殿を残し 全壊したるところ仝四十三年、明治百年を記念 して 茲に氏子等の浄財により再建せるも のなり。 −境内案内板− |
【 紀倍神社 (坂井町)(印刷用ページ) 】