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鵜甘神社
うかんじんじゃ
福井県今立郡池田町水海52−24
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式内社 越前國今立郡 鵜甘神社 |
福井県の池田町にある。
池田町役場の西2Kmほどの水海に鎮座。
476号線を北上し、水海川に沿って南東へ1Kmほど。
集落の奥に境内がある。
参道には鳥居が立ち、参道を進むと石畳。
さらに進むと、境内入口の鳥居があり、
「式内 鵜甘神社」と刻まれた社号標。
境内中央、石垣の上に拝殿があり、
その後方、さらに石垣の上に本殿がある。
境内には、石庭のような石組がある。
『式内社調査報告』に載っている写真は
樹木鬱蒼とした感じだが、現在は奇麗に整備された神社。
社殿の周囲も、さっぱりとしている。
社伝によると、
雄略天皇七年(463)二月十五日の創祀。
継体天皇が越前に御潜龍の時
「足羽の水源神」として祀られた古社。
鎌倉時代、幕府執権の北条時頼が当地で越年の時
(1250頃)、能舞を教授されたといい
今日まで継承されている。
中古は八幡神社とも称し、
式内社・鵜甘神社の論社の一つ。
当地の東方に、部子山(1464m)があり
部子山信仰の下社として尊崇されていたという説がある。
が、松ケ谷に部子神社という神社が存在し
部子山山頂の上宮に対し、下宮として創建されたという由緒がある。
鎮座地である水海について。
水海川流域は断層面が活発で地滑りなどがあり
一時期、川がせき止められ湖水化した時代があったという。
もとは八幡社と称していたためか、
拝殿には鳩の紋が付けられていた。
鳩は八幡神の神使なので、これが当社の神紋だろう。
参道 | 境内入口 |
境内 |
拝殿 | 拝殿 |
本殿 | 本殿 |
石庭 |
鵜甘神社
当社は雄略天皇七年(四六三)の創建と
伝えられる古社で、応神天皇、神功皇后、
武内宿禰を主祭神としている。江戸時代ま
では八幡社であった。毎年二月十三日には「ばいもしょ」とよ ばれる初春の予祝神事が行われる。 この「田遊び」は明治期に合祀した賀宝 五所社の御田植神事をそのまま継承してい る。この神事では、拝殿から撒かれた五本 の棒を激しく奪い合うことから、「棒ちぎ り」ともいわれている。 また、二日後の二月十五日の春大祭には 田楽と能が奉納される。 四番の田楽と五番の能があり、演目は毎 年変わらない。 全国的にも類希なこれらの伝承芸能は、 田楽や能の起源や伝播を知るうえで貴重な ものとされ、「水海の田楽・能舞」として 国の重要無形民俗文化財に指定されている。 −境内案内板− |
【 鵜甘神社 (池田町水海)(印刷用ページ) 】