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北海道神宮
ほっかいどうじんぐう
北海道札幌市中央区宮ケ丘474
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北海道札幌市にある。
札幌駅から西へ4Kmほどの円山公園横に鎮座。
大通りを挟んで、北側に表参道、南側に裏参道がまっすぐに続いている。
ちょっと遠いので、地下鉄を利用した。
地下鉄東西線円山公園駅から、歩いて十数分の場所。
円山公園の西横に境内入口の二之鳥居。
鳥居から参道は南西に延び、
ずっと先に、なにやら神々しい山が聳えているが、砥石山かな。
参道の両脇の灯籠が面白い形。
参道を歩くと神門。神門をくぐると、正面に拝殿がある。
拝殿の後方に、本殿があるが、屋根しか見えなかった。
参拝は11月始めの休日。
境内には多くの七五三参拝客で賑わっていた。
この日は11月の北海道では珍しく、気温20度を越え、
暑くてくらくらしそうな陽気だった。
明治維新後、新政府は蝦夷地開拓を国是とし、
明治2年、勅により、国土開拓三神の霊鎮祭を執行。
同時に、開拓使長官・東久世通禧が神霊を奉戴して函館に上陸。
その後、開拓判官・島義勇が奉戴して、札幌へ入り、
明治3年、北六条通りに仮神殿を奉遷。
翌明治4年、円山の地に社殿を建立し、札幌神社と称した。
明治38年、社殿を改築遷座して、北海道神宮と改称。
明治政府にとって、重要国策であった蝦夷地開拓の
心的礎(いしずえ)として、当社が創祀されたもので、
現在の札幌の町の繁栄の元、と考えることができる。
神紋は、菊の紋。
明治以後の神宮で、天皇も祀られているので、これは正当。
参拝を終えて、境内の東から裏参道方向へ。
円山公園は、完全に秋の様相。
11月が北海道にとって、秋真っ盛りなのか、晩秋なのかわからないが。
二之鳥居 | 参道と背後に砥石山? |
神門 | 拝殿 |
境内 |
境内、秋です | 参道の灯籠 | 駐車場 |
明治2年9月1日明治天皇の詔により北海道の開拓の守護神として東京の神祇官に開拓三神を御鎮斎になったのが北海道神宮の創祀であります。 つづいて開拓長官ヒガシクセミチトミが神祇官より御霊代を戴き、開拓判官シマヨシタケが御霊代を奉じ札幌の地に入り明治4年5月に札幌神社と社名が定まり同年9月にこの円山の地に社殿を造営し鎮座されました。 昭和39年10月明治天皇が鎮座され札幌神社より北海道神宮と改称し北海道の総鎮守として崇敬されています。 −『平成祭データ』− |
境内から円山公園へ向かう道のそばに、
境内末社が3つ並んでいる。境内に近い順に、
北海道拓殖銀行永年勤続功労者の御靈を祀る、穂多木神社。
北海道開拓鉱業従事殉職者の御靈を祀る、鉱霊神社。
そして、北海道開拓功労者の御霊を祀る、開拓神社。
書かれた祭神は、ほとんど知らない方達だが、間宮林蔵などの名も。
武田信廣命、鈴鹿甚右衞門命、吾妻謙命、
松前慶廣命、井上長秋命、佐野孫右衞門命、
佐藤信景命、松前徳廣命、伊達邦直命、
村山伝兵衞命、田崎東命、黒田清隆命、
松田傳十郎命、鍋嶋直正命、小林重吉命、
本多利明命、島義勇命、永山武四郎命、
伊能忠敬命、松川弁之助命、岡本監輔命、
高田屋嘉兵衞命、続豊治命、伊達邦成命、
栖原角兵衞命、下國安藝命、東久世通禧命、
最上徳内命、清水谷公考命、田村顯允命、
近藤重藏命、早川弥五左衞門命、依田勉三命、
間宮林藏命、松浦武四郎命、岩村通俊命、
中川五郎治命
北海道神宮の本当の祭祀対象はこちらではないか、とふと思った。
鉱霊神社 | 穂多木神社 |
開拓神社 | 開拓神社社殿 |
開拓神社本殿 |