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伊和都比賣神社
いわつひめじんじゃ
兵庫県赤穂市御崎字三崎山1

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式内社 播磨國赤穂郡 伊和都比賣神社 |
兵庫県赤穂市にある。
赤穂駅の南東5Kmほどの御崎に鎮座し、
御崎明神とも称された神社で、
千種川の河口部、海浜公園の東にある赤穂温泉にある古社。
参拝は正月四日の早朝。
日の出前で、写真では蒼い世界なのだ。
南向きの境内前は広く、駐車スペースになっているようだ。
そこから播磨灘へ向って鳥居が建ち、
早朝のためか、鳥居の両脇には狛犬のごとき軽ワゴンが2台。
鳥居から海へ降りる階段を下ると、大きな岩が転がっていた。
境内に入ると正面に社殿。
温泉街にある大きな神社で、旗幟が立ち並び、
初詣と染められた朱の旗も。
拝殿の後方、かなり広く垣に囲まれた場所に本殿を
垣の間から撮影。
参拝を終え、一通り境内の撮影を終えた頃、
蒼かった風景も、じょじょに明るくなり始め、
温泉客と思われる参拝客もチラホラと訪れ始めていた。
創祀年代は不詳。
御崎明神、三崎明神、大薗社とも称された古社。
大薗社というのは、当社が往古
大園という海中の岩礁の小祠であったことかららしい。
口碑によると、
赤穂郡中村の漁民は
御崎東方の海浜大園という崖下岩石中に湧き出る水を飲料としており
神の「御恩」と感謝して、祀ったものという。
後、天保三年(1683)、浅野家によって
現在の鷗護岩(ヲヲゴ)に面した岩上に社殿を建立。
昭和になって本殿以下、社殿などを100メートル北へ移し、
現在に至っている。
祭神は、伊和都比賣大神であるが、
伊和津姫御崎前明神とも、三崎大明神ともよばれ、
豊受大神と同神であるとか、伊和大神の妻であるとか。
また、宗像三女神の奥津嶋姫命であるとも。
境内の右手に二つの境内社が並んでいる。
金比羅宮・恵比須神社。
社殿には、巴紋の幕がはられており、
屋根にも三つ巴の飾り。
三つ巴が当社の神紋なのだろう。
鳥居から播磨灘 |
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鳥居 ![]() | 境内 ![]() |
境内 |
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拝殿 ![]() | 拝殿 ![]() |
本殿 ![]() | 境内社 ![]() |
本殿 |
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延喜式内社伊和都比売神社由緒
当社は今を去る一千余年前平安朝の延喜式神名帳
にその名を記載する古社で伊和都比売大神をお祀り
してある。当時から朝廷を始め国司の格別の尊崇を
うけたお社である。伊和都比売大社はもとゝ伊勢外
宮の豊受比売とも云われ、また播磨国一宮の伊和大神
即ち大穴牟遅神の比売神とも云われ古くから御崎明神
と称せられた赤穂民族の祖神である。もとは大園と呼ぶ前方海上の八丁岩の上にお祀りして あったのを天和三年浅野内匠顕長矩が現在の地に お移ししたもので「播磨なる御崎の石だたみ海の底まで行 くぞ見る」と歌われているように奇岩の上に老松が 舞い岩礁の地である。 かつては日本海々戦の勇将東郷平八郎元帥を始め 歴代連合艦隊司令長官の崇敬厚くしばゝ艦隊を 率いて帝国海軍の勇士が参拝し、現在でも船員漁師 など航海安全と大漁祈願はあとをたたず遠近からの信 仰は盛んである。なお特に珍らしいのは古くから若き 男女による姫神信仰が盛んで縁結び或は恋人を得 るにご利益のある「姫守」をうける人が多く御崎の景 色と共に近時有名である。 −社前案内板− |
