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魚見神社
うおみじんじゃ
三重県松阪市魚見町815
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式内社 伊勢國多氣郡 魚海神社二座 |
三重県松阪市にある。
松阪駅の東6Kmほどの魚見町に鎮座。
櫛田川にかかる魚見橋を渡ったあたり、
櫛田川の右岸、田畑に囲まれた杜が当社の境内。
境内入口は南向き。
鳥居の左脇に「行宮阯」と刻まれた石碑、
右脇に「式内魚見神社」と刻まれた社号標が立っている。
鳥居をくぐり杜の中に入ると、鬱蒼と茂る木々によって、やや暗めの境内。
クランク状の参道を進むと当社の社殿。
拝殿の扁額に「魚見神社」とあり、拝殿の奥、
塀に囲まれて神明造の本殿がある。
境内の隅に「一千九百五十年祭碑」と刻まれた石碑が立っていた。
垂仁天皇御代、倭姫命が天照大神を奉載し、
大神御鎮座の地を探して櫛田川を下っていた時、魚が自然に集まって
御船に飛び込んできたのを見て、倭姫命が大いに喜び、
この地に魚見社を創祀したという。
魚見町の北にある川島町鎮座の魚海神社とともに
式内社・魚海神社の論社とされる古社。
延喜式には魚海神社二座とあり、
『式内社調査報告』によると、当社では天照皇大神と月讀荒魂命。
相殿の月読荒魂命は、神宮の別宮に祀られている神だが、
『倭姫命世記』によると飛鳥宮(天武天皇)の御宇、
魚見神社に奉遷したと書かれているらしい。
ただし、祭神に関して『平成祭データ』には、天照皇大神、月讀荒魂命の名は記されておらず、
天之忍穗耳命を主祭神として配祀の神々の名だけが載っている。
当社は江戸時代には「二天八王子」と称され、
明治になって、二天を除いて、天之忍穗耳命などの八柱神(八王子)を祀る
宇気比神社と改称されたためだろうか。
当社は明治五年三月十一日に村社に列せられたが、
明治四十二年に大国玉神社に合祀された。
その後、氏子の総意によって昭和十年三月六日に古社地に分祀再興。
昭和二十八年、由緒を考慮して宇気比神社から魚見神社へ改称された。
社頭 |
行宮阯 | 式内魚見神社 |
境内入口鳥居 | 境内鳥居 |
境内 |
拝殿 | 本殿 |
拝殿扁額 | 一千九百五十年祭碑 |