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初姫神社
はつひめじんじゃ
静岡県田方郡函南町仁田字町屋587  Zenrin Data Com Maps display !!

式内社 伊豆國田方郡 金村五百村咩命神社
旧郷社

御祭神
金村五百村咩命

静岡県函南町にある。
伊豆箱根鉄道・伊豆仁田駅の東700mほどの仁田に鎮座。
幼稚園の西隣り、というよりも当社境内の中に幼稚園がある。

境内入口は南向き。
石の垣に囲まれた三角形の境内には、
スベリ台などの遊具が置かれているが
これも幼稚園の設備だろうか。

参拝は、年末の29日。
天気は快晴。
言葉どおりの抜けるような青空が美しい午後。
当社に到着した時には、
境内で近所の女の子達が遊んでいたが
カメラを持って境内に入ると、
誰も居なくなった。怪しい人だと思われたかな、
などと考えながら参拝開始。

鳥居をくぐって正面に社殿があり
拝殿の後方に本殿があるが
この本殿は覆屋かもしれない。

創祀年代は不詳。

『伊豆国神階帳』に
「従四位上 たわらの明神」と記されている神社で
式内社・金村五百村咩命神社に比定されている古社。
『明治神社誌料』では、当社を「従四位上 なつめの明神」
とする説も載せられている。

金村五百村咩命神社とは変った名前だが、
同じく田方郡の式内社に金村五百君和氣命神社という社があり
両社の祭神は夫婦であるとする説がある。
この場合、金村五百咩命の「村」は
「比」の誤字と考えられ、
本来は金村五百比咩命神社だったという。

また、一説には「金村」とは金谷という地名から採られ
「五百村」とは、多くの集落。
つまり金村五百村咩命神社とは
金谷という地の多くの集落の集まった場所にある
姫神を祀る神社という意味だという説。

享保四年の棟札には「楊原明神」と書かれており
江戸時代には楊原明神と呼ばれていたが
明治六年、郷社に列せられた時点で古称・初姫神社に戻したという。

鳥居の写真を撮影していて感じたこと。
普段は電線など、気にもしないで生活しているが、
こんな美しい空の下で撮影していると
どうにも電線が無粋だ。
ちょうど5本あるので、鳥でもとまって
ドボルザークの楽譜にでもなれば面白いのに。


社域

鳥居

境内

社殿

社殿

境内社

本殿

初姫神社由来記
御祭神金村五百村咩命
鎮座地函南町仁田字町屋
境内坪数一一五二坪
由緒 この神社は式内社で元郷社 である。
延喜式に載っている全国神 名帳によると、伊豆国には式 内社が九二座あった。
九二座の中田方郡に二四座 あるが、その中の一座が 初姫神社で「金村五百村咩命神 社・函南仁田」と出ている。
函南町内にある神社の内、 式内社で郷社は初宮神社だ けである。

明治から昭和二十年までは 例祭当日小学校は休みにな るほどの由緒ある社であった。
また神事の際には雅楽が奏 でられピーヒャードンと賑やか に執り行われていた。
境内社 神明社 八坂神社 床浦神社 王子神社 山神社 御獄神社 金山社 稲荷社


−社殿案内板のまま掲載−



【 初姫神社 (函南町)(印刷用ページ) 】

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