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佐波神社
さわじんじゃ
静岡県賀茂郡西伊豆町仁科1870
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式内社 伊豆國那賀郡 佐波神社二座 |
静岡県、伊豆半島の西側・西伊豆町にある。
西伊豆町役場の北西600mほどの仁科に鎮座。
136号線から少し東へ入ったところ。
沢田コミュニティ防災センターの横に、
参道入口の鳥居が建っており、「佐波神社」と刻まれた社号標。
参道を北上し、池にかかる橋を渡ると、大きな境内。
境内奥、北側に拝殿がある。
拝殿内部の扁額は「八幡宮」「三島宮」と掲げられており
当社が、八幡宮と三島宮の2社が同座している神社だとわかる。
拝殿の後方に本殿の覆屋があるが、
その本殿の後方には大きな岩があるようで、
小さな石祠が祀られていた。
参拝は、正月元旦の朝。
曇天のため、境内はまだ暗く、
社殿や神池の燈籠に、明かりがともっていた。
上記のとおり、当社には八幡宮と三島宮が祀られている。
三島宮の創祀年代は不詳。
口碑によると、垂仁天皇の御宇、
御座船を鴨ケ池のあたりで製造した際、
三島明神の神像を賜り、以後、三島明神と称するようになったという。
八幡宮の創祀は、社伝によると神功皇后の三韓征伐当時らしく、
中世には仁科一郷の総社にして、近世には仁科五村の総鎮守として崇敬されていた。
式内社・佐波神社二座に比定されている古社で、
伊豆国神名帳には、
「従四位上 しての明神」「従四位上 にゐの明神」
として記載されている。
「佐波」とは、鎮座地名であり澤の意味。
「して」は神田の意味で、社地の旧称。
「にゐ」は鎮座地名の仁科の転訛ということらしい。
もとは、鴨ケ池(現・鴨ケ池遺跡)に鎮座していたが
海嘯のため、慶長十四年(1609)、現在地に遷座。
当時は、八幡宮・三嶋宮それぞれ別殿に祀られていたが、
文政六年(1823)三月、両社を合祀し、一社に祀られた。
以上のように、三島宮と八幡宮なので、
祭神は、積羽八重事代主命と八幡大神。
だが、八幡宮に関しては異説があり、
三島宮の若宮であったものが、八幡若宮と解釈され
ついに八幡宮となったとも。
あるいは、三島明神の妃神であるとも。
扁額「八幡宮」「三島宮」同様、
拝殿内の幕には、巴紋と桐紋の2つの神紋が染められていた。
巴紋が八幡宮の紋、桐紋が三島宮の紋だろう。
境内には、いくつかの石祠が祀られており、
一番大きな石祠が(たぶん)招魂社だと思う。
その他の石祠に関しては詳細はわからないが、
明治二十二年神社明細帳によると、境内社は以下の十五社。
姫宮社、粟嶋社、天神社、塩釜社、白山社、
若宮社、山神社、地神社、諏訪社、賽神社、稲荷社五社。
昭和二十八年神社明細帳には、
姫宮社、稲荷社、粟嶋社、塩釜社の四社のみ。
参道入口 | 参道 |
神池 | 参道鳥居 |
境内 |
拝殿 | 本殿覆屋 |
本殿背後の岩 | 右側 |
招魂社か | 境内の石祠 |
−境内案内板− |