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内神社
うちじんじゃ
島根県松江市大垣町746
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宍道湖の北にある高野宮駅から北上し、3Kmほどで、
松江から平田へ向かう広域農道へ出る。
そこから少し山側へ入った場所、本宮山の中腹に鎮座している。
農道から入る道が狭くて、ちょっと苦労した。
参拝した当時は、あちこちで工事が行なわれていたので、
今は、広い道になっているかもしれない。
高野宮駅にも、当社の鳥居があるらしい。
入口の階段を上り、鳥居をくぐると境内。
左手に土俵があり、正面に神門。神門の左右には、随神社が2つ。
神門をくぐると正面に社殿があり、拝殿の上に、本殿の屋根が見える。
本殿の左右には、境内摂社の三保神社と芦原神社。
本殿後方に鳥居があり、奥に稲荷があるはずだが、
参拝した時は、社殿はなく、仮殿へ祀られていた。
他にも、境内には霊神社がある。
社伝によると、霊亀元年(715)、高野山の頂に、光輪が出現し、
神垣を結んだのが創始。
養老元年に現在地、中腹へ遷座したという。
また、一説には大野氏築城に際し、遷座したとも。
遷座の理由により、高野山は、本宮山と改称し、現在にいたる。
通称、高野宮も、高野山に鎮座していたことによる。
また、祭神・下照姫命の別名、高姫命の宮という意味でもある。
高宮、足高大明神、足鷹大明神とも。
式内・内神社とされている理由は、
当地が、内野、あるいは、阿内谷という地名であったから。
祭神・和加布都努志命は、大己貴命の御子で、
出雲各地を巡行し、当地では猪狩りをしたという。
古来、別格扱いのお宮で、杵築や佐陀の支配を受けず、
江戸時代には、国内の四祈願所(杵築、日御碕、佐陀、当社)の一つであった。
参拝を終えて、農道へ戻る途中、
脇を二匹の犬が、猛烈に吠えながら追ってきた。
こちらは車だが、道が狭いので徐行しており、
その勢いに、ややビビる。
参道と鳥居 | 鳥居 |
境内 |
随神社 | 神門 | 随神社 |
社殿 |
拝殿 | 拝殿 |
本殿左の摂社・三保神社 猿田彦命 事代主命 三保津姫命 鈿女命 倉稻魂命 木花開耶姫命 | 本殿 | 本殿右の摂社・芦原神社 素盞嗚尊 稻田媛命 大己貴命 少彦名命 思兼命 五十猛命 |
稲荷社 | 霊神社 |
【 内神社 高野宮 (松江市)(印刷用ページ) 】