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尾山神社
おやまじんじゃ
石川県金沢市尾山町11−1
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旧別格官幣社 |
石川県の金沢にある。
金沢駅の南東2Kmほど、
金沢城公園の西側、百万石通りに面して
境内入口の鳥居が立ち、階段を登ると、
和・漢・洋折衷様式の美しい神門。
上部にはギヤマンがはめ込まれたステンドグラス。
神門をくぐると、正面に社殿があり、
後方に流造りの本殿。
本殿の右手には、摂社・金谷神社。
境内の右手には池があり、回遊式庭園になっている様子。
池の前には、利家公の像と、正室お松の方を刻んだ石碑。
金沢旅行前に地図で場所を確認していると、
神門の前、道を挟んだ場所に背の高いホテルがあった。
ひょっとしたら、上からの写真が取れるかもしれないと思い、
そのホテルに宿泊。
ホテルに到着後、ホテルから撮影したが曇天のため、
あまり良い写真が取れなかった。
夜、食事をとろうとホテルを出ると、神門がライトアップされていた。
急いで部屋に戻り、カメラを持って撮影。
ライトアップは、神門の正面からだけだったが、
境内から見ると、上部のギヤマンが美しく輝いていた。
久しぶりに夜の神社に参拝したが、ムチャクチャ良い。
境内 | 神門(上から) | 境内入口(西向き) |
社伝によると、
前田利家公の沒後、その霊を神として奉祀しようとしたが、
当時はばかる所があって、
越中国射水郡守山海老坂鳥帽子峰に鎮座の八幡大神を遷座すると称して、
その実公の霊を加賀国卯辰山麓に鎮座の卯辰八幡社に奉祀。
明治になって、当社を旧加賀藩主金谷邸址に遷そうとして
明治5年10月請願し、翌6年3月許可せられると同時に尾山神社と改称、
同年11月、現社地に御社殿を創建した。
神門 | 夜はライトアップ |
境内 |
社殿 | 本殿 |
摂社・金谷神社の御祭神は、歴代(第二代〜第十七代)加賀藩主とその正室。
名前を列挙しようかと思ったが、フォントに無い文字があるのでやめた。
池の側にある、お松の方を刻んだ石碑は、
平成十四年のNHK大河ドラマ『利家とまつ』を記念して建立されたものらしい。
池の横に階段があり、登ってみると、
伊勢神宮と明治神宮の遥拝所だった。
さし石(力石) | 境内社・金谷神社 |
利家公 | 社殿から神門 | お松の方 |
夜はこんな感じ |
尾山神社
初代加賀藩主前田利家公と正室
おまつの方を御祭神とする当神社
は、明治六年(一八七三)に歴代
藩主の別邸であった金谷御殿跡に
建立された。ギヤマンがはめ込まれたり、和・ 漢・洋折衷様式を見せる神門は、 異国情緒漂う造り。東神門は金沢城 で唯一残る桃山風御殿様式の門で、 旧金沢城二の丸にあった唐門を移築 したものである。 旧金谷御殿の庭であり、築山地泉 回遊式の庭園は、江戸末期に作庭 されたもので、かつて辰巳用水を 引き入れた池には、三つの島と趣向 を凝らした橋が配され、書院庭園の 面影を色濃く残している。 −社前案内板− 御由緒略記
慶長四年前田利家公の沒後、子弟等は公の霊を神として奉祀しようとしたが、当時憚る所があって、越中国射水郡守山海老坂鳥帽子峰に鎮座の八幡大神を遷座すると称して、その実公の霊を加賀国卯辰山麓に鎮座の卯辰八幡社に奉祀しました。 爾来前田家世々崇敬して祭儀怠らなかったが、廃藩置県後旧藩士等祭祀を継続し公の功績を不朽に伝えるため、旧封加越能三州の人士と共に当社を旧藩主金谷邸址に遷そうとして明治五年十月請願し、翌六年三月許可せられると同時に尾山神社と改称し、同年十一月旧藩主邸址の現社地に御社殿を創建し、十六日に遷座、翌七年二月県社に、同三十五年四月二十六日に別格官幣社に列せられました。 この間、明治十一年十月明治天皇北陸御巡幸に際し、御幣物を御献納あらせられ、明治十四年四月二十七日例祭に当り内務省より毎年金壱封納めらるべき旨伝達あり、爾来毎歳例祭に納められました。 明治二十四年十月金沢開始三百年祭、同三十二年四月御祭神三百年祭に当りて幣帛料を下賜あらせられ、別格官幣社に昇格後毎年恒例臨時の大祭には勅使を参向せしめられました。 −『平成祭データ』− |