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浅間神社
あさまじんじゃ
山梨県笛吹市一宮町一ノ宮1684

本殿の左手に境内社が2つ。神明社(天照皇大神)と眞貞社(伴直眞貞)。
20号線の鳥居から、参道を北へ歩くと、
参道の西側に境外末社天神社(菅原道眞)がある。


真貞社

神明社

参道の天神社

境内の護国社

本社の南東2Kmに摂社山宮神社がある。  Zenrin Data Com Maps display !!
社伝によると、最初の鎮座地。
場所がわからず、ブドウ畑の農道をウロウロしていて到着。

石の鳥居から、緩やかな上りの参道を歩くと、
左手に社殿がある。本殿は室町建築。
本殿の後ろには、立派な夫婦杉がある。

山宮神社参道は、紅葉もチラホラと見え、
良い雰囲気の場所だった。
参道から鳥居を振りかえると、市街を見下ろす景色が美しい。


これが神山だと思うが、自信はない

参道入口の鳥居

市街を見おろす位置

参道

拝殿

本殿

本殿後ろの夫婦杉

本殿後ろの夫婦杉

重要文化財
建造物
浅間神社摂社山宮神社本殿 
一宮町一の宮 浅間神社
明治四十年八月二十八日指定
 浅間神社は、木花咲耶姫命を祀る甲斐一の宮で、 垂仁天皇の時にこの地に勧請し、その後貞観七年(8 65)に現在地に移されたと伝えられるもので、勧請地 であるこの地には摂社として山宮神社が鎮座する。
 この本殿は、一間社隅木入春日造檜皮葺の室町時 代の建築である。全体の形は木割が大きく堂々とし て立派なもので比較的古調を伝えるものがある。正 面蟇股彫刻は複雑な花模様で図案的性質を保持し、 また側面の蟇股は全部同一な兜と紅葉を配した彫刻 を入れたもので、この建築の面目を躍如たらしめて いる。
 祭神は大山祇命瓊々杵尊の二柱である。
 毎年三月十五日は、浅間神社から山宮神社への神 幸が厳かに行なわれる。

−境内案内板−


県民俗資料 昭和三十五年十一月七日指定
 御供田

 山宮神社の石鳥居前(東新居字桧山田)にはかつ て三十六枚の御供田があった。
 山宮の清流を引いて耕作された棚田であり 「クナツタ」「ミズタ」ともよばれるような田が鳥居の かみにあり、早くから開かれていたものである。
 明治四十年、水害の際に鳥居の附近にあった 古い社家の屋敷跡はすべて押し流され、現在は 落葉林、松林などに変化している。
 山宮において明治以前は厳しい物忌みが年三 回行なわれ、神主、社家、社人などが参籠し、 この期間は氏子も忌みごもり謹慎していたと伝 えられている。
 御供田から収穫した米二俵をもって祭の供物を 作っていたと言われている。

−社前案内板−



【 浅間神社 (笛吹市) その2(印刷用ページ) 】

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