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浅間神社
あさまじんじゃ
山梨県笛吹市一宮町一ノ宮1684
本殿の左手に境内社が2つ。神明社(天照皇大神)と眞貞社(伴直眞貞)。
20号線の鳥居から、参道を北へ歩くと、
参道の西側に境外末社天神社(菅原道眞)がある。
真貞社 | 神明社 |
参道の天神社 | 境内の護国社 |
本社の南東2Kmに摂社山宮神社がある。
社伝によると、最初の鎮座地。
場所がわからず、ブドウ畑の農道をウロウロしていて到着。
石の鳥居から、緩やかな上りの参道を歩くと、
左手に社殿がある。本殿は室町建築。
本殿の後ろには、立派な夫婦杉がある。
山宮神社参道は、紅葉もチラホラと見え、
良い雰囲気の場所だった。
参道から鳥居を振りかえると、市街を見下ろす景色が美しい。
これが神山だと思うが、自信はない |
参道入口の鳥居 | 市街を見おろす位置 | 参道 |
拝殿 | 本殿 |
本殿後ろの夫婦杉 | 本殿後ろの夫婦杉 |
この本殿は、一間社隅木入春日造檜皮葺の室町時 代の建築である。全体の形は木割が大きく堂々とし て立派なもので比較的古調を伝えるものがある。正 面蟇股彫刻は複雑な花模様で図案的性質を保持し、 また側面の蟇股は全部同一な兜と紅葉を配した彫刻 を入れたもので、この建築の面目を躍如たらしめて いる。 祭神は大山祇命と瓊々杵尊の二柱である。 毎年三月十五日は、浅間神社から山宮神社への神 幸が厳かに行なわれる。 −境内案内板− 県民俗資料 昭和三十五年十一月七日指定 御供田 山宮神社の石鳥居前(東新居字桧山田)にはかつ て三十六枚の御供田があった。 山宮の清流を引いて耕作された棚田であり 「クナツタ」「ミズタ」ともよばれるような田が鳥居の かみにあり、早くから開かれていたものである。 明治四十年、水害の際に鳥居の附近にあった 古い社家の屋敷跡はすべて押し流され、現在は 落葉林、松林などに変化している。 山宮において明治以前は厳しい物忌みが年三 回行なわれ、神主、社家、社人などが参籠し、 この期間は氏子も忌みごもり謹慎していたと伝 えられている。 御供田から収穫した米二俵をもって祭の供物を 作っていたと言われている。 −社前案内板− |
【 浅間神社 (笛吹市) その2(印刷用ページ) 】