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比志神社
ひしじんじゃ
山梨県北杜市須玉町比志872
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山梨県北杜市にある。
中央自動車道の須玉I.C.の北東11Kmほどの須玉町比志に鎮座。
塩川に沿って走る23号線を進み、比志の集落あたりで北へ入り、
塩川を渡るとすぐ、当社の杜が見える。
参道入口は西向き。
塩川に副うような境内は細長く、かつては河原、あるいは中州だったような雰囲気。
両部鳥居の右脇に「郷社比志神社」と刻まれた社号標が立っており、
鳥居扁額には「国史現在 比志神社」と記されている。
鳥居をくぐり参道を進み境内に入ると
神門があり、神門をくぐると正面にどっしりとした拝殿がある。
境内の左手には神楽殿。拝殿の後方、覆屋の中に流造の本殿。
本殿は室町時代の大永八年(1528)、飛騨の内匠によって造営されたものらしい。
拝殿の左手には県指定天然記念物の大スギ。
案内板には、樹齢は推定5〜600年で、樹高は33mとある。
創祀年代は不詳。
社伝によると、大宝元年(701)九月十五日、比志の西北隅の御崎平に鎮座し、
大永二年(1522)、あるいは正長元年(1428)、御崎平より現在地に遷祀。
大永八年(1528)、日向大和守是吉一族が本殿を改修したという。
六国史の『三代実録』貞観五年(863)十月六日に、
「甲斐國正六位上比志神並授從五位下」と記されている国史現在社であり、式外の古社。
かつては蔵王権現とも比志権現とも称され、黒印社領三斗七升五号を有したという。
明治六年、郷社に列した。
社殿の屋根に、五三の桐紋が付けられており、
『全国神社名鑑』にも神紋は五三桐と書かれている。
境内にはいくつかの石祠や石碑が祀られている。
確認したものは、蚕影大神や大国主命の石碑。
境内社として八坂神社があるようだが、どの祠が八坂神社なのか確認していない。
ちなみに、『明治神社誌料』には境内社として、
道祖神社、若宅八幡社、諏訪神社、稲荷神社、社日社、山崎八幡宮、
広国社、五所天神社、金山社、津島社、石凝姥社、天神社、菊理姫社が記されている。
塩川そばに社域の杜 |
鳥居 | 参道と社域 |
境内入口 | 神門 |
境内 |
拝殿 | 本殿覆屋と石祠 |
天然記念物の大スギと社殿 |
比志神社 旧郷社
当社は伝によると 文武天皇大宝元(七〇一)年 九月十五日本村西北隅の御崎平に鎮座し 大永二(一五二二)年御崎平より現在の地に 遷祀されたといわれ 六国史の一である 三代実録に 貞観元(八六三)年比志神に 從五位下を授くとあり国史現在社所載の 古社である 甲斐国志などによると旧称蔵王権現と いわれ 御岳金桜神社などと同じ奈良吉野 の金峯山 甲州金峯山に関係をもつ神社で 大永八年日向大和守一族の修造にかかり その社殿は飛騨の匠の作といわれ昭和 四十年山梨県文化財として指定されて いる 本年諸社殿大改修竣工にあたり これを記念して神社略誌を建立した 昭和五十五年十一月二十三日 −境内説明文− 県指定文化財 比志神社本殿付棟札
昭和四十年八月十九日指定
この神社は、日本三代実
録(延喜元年・九〇一年)所
載の古社で蔵王権現または
比志権現とも称された。須玉町比志八七二 比志神社所有 甲斐国志によると大永二 年うしろの山御崎平から塩 川州上に遷座し、同八年日 向大和守是吉が修造したと あり大永八年(一五二八年) 造営銘のほか修理時のもの あわせて七枚の棟札がある。 飛騨の内匠伴野庄高野住 人頭領吉沢因幡守信村、小 衛清左衛門尉等が材料を木 曽の山宮に採り畢生の技術 を尽して建立したものであ り、幣軸構え一間社流造り で軸廻り、妻飾りなど室町 時代の意匠を示している。 −境内説明文− |