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玉諸神社
たまもろじんじゃ
山梨県甲府市国玉町1331
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式内社 甲斐國山梨郡 玉諸神社 |
山梨県甲府市にある。
酒折駅の南1Km弱の国玉町に、道路に南面して鎮座。
境内入り口には朱の鳥居が立ち、
境内には、美しい舞殿(神楽殿)。
社殿の周りには石の小祠がいくつかあるが、詳細は不明。
参拝は、晩秋の休日の朝。
落ち着いた枯葉の紅色と、朱の鳥居、赤い屋根の社殿がいい感じ。
社伝によると、日本武尊東征の折に、
酒折の御室山に鎮祭したのがはじめ。
その後、現在地に遷座したという。
式内・玉諸神社の論社の一つ。
もう一つの論社は、甲州市(旧塩山市)の玉諸神社。
そちらの玉は、御神体の水晶の玉だが、
当社の玉は、国玉。魂なのだ。
ということで、当地の国神を祀り、
甲斐国三宮と称されている。
社殿の屋根には、葵の紋がついていた。
徳川家康により復旧されたためだろうか。
神楽殿や手水鉢には、三引両の紋。
鳥居 | 境内 |
境内と神楽殿 |
本殿 | 拝殿 |
境内の松 | 本殿 |
境内の石祠群 | 石祠群 |
石祠 | 石祠と丸石 |
玉諸神社 旧県社 甲府市玉諸町 祭神 大国玉大神 例祭 四月一五日 一〇月一五日 由緒沿革 古来当国の三の宮として聞え、国 主建立の社で往時は酒折の御室山に鎮座し 後、現在地に奉遷すという。今御室山に小祠 を置き本社の御旅所とす。戦国時代武田氏の 崇敬が篤かった。天正一〇年兵火に罹り灰燼 に帰したが、翌年四月徳川家康は先規に任せ て、国玉、巨世、上阿原、塩部、酒依に百三 貫文の地を寄進し復旧せしむ。その後六〇有 余石の朱印領を附せられた。 −『神社名鑑』− |
古社地である酒折の御室山の南西麓に、玉諸神社拝殿跡が残されている。
『日本の神々』によると、この拝殿跡は柴宮神社支配になっているらしい。
6号線脇の空き地に石が置かれており、鳥居や石垣、石碑などがある。
玉諸神社拝殿跡 |
【 玉諸神社 (甲府市)(印刷用ページ) 】