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船形山神社
ふながたやまじんじゃ
宮城県黒川郡大和町吉田字升沢108
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宮城県大和町にある。
役場のある大和町の中心街から、西へ20Kmほどの升沢に鎮座。
147号線(桝沢吉岡線)をひたすら進むと、
旗坂野営場の近く、右手に色麻方向へ向う林道がある。
ただし、当日の案内には、通り抜け出来ないと書かれていたので、
途中までしか行けないかもしれないが。
その林道入口に、当社参道入口があり、
「船形山神社入口」と案内板が見える。
その道を少し進み、右手に曲がると、
境内入口の赤い鳥居が建ち、その奥に境内。
境内には、小川が流れ、小さな木橋を渡ると社殿。
割拝殿のような建物だが、拝殿だろうか。
『日本の神々』には、参道登り口に護摩堂があり、
恵比寿・大黒天を祀っていると書かれており、
前面に川があるらしいのだが。
とにかく、その社殿を通り抜けて、参道は続く。
しばらく歩くと、斜面を登る道。
そして、雑草の道が続き、斜面を登り、山道を歩いて、急な斜面を登る。
最後の斜面が一番急で、鎖やロープに頼って登らなければならない。
その道を登りきると、開けた山頂に境内がある。
登り口の正面に流造の社殿があり、
境内奥にも、少し小ぶりの社殿があるが、
どちらが、当社の本殿なのだろう。確認し忘れてしまった。
位置的には、奥の小祠が本殿だろう。
すると、手前の社殿は、薬師堂だろうか。
創祀年代は不詳。
一説には、反正天皇の御代であるという。
社名の如く、当社の西に聳える船形山を遥拝する神社であり、
保食神を祀る古社。
『式内社調査報告』によると、
『舊神祠記』に、当社(舟形山大権現)が式内社・行神社と記されているらしい。
当社の例祭は、作祭あるいは御開帳と呼ばれる特殊なもの。
長さ2メートルほどの青竹に紙垂を数多く挟んだ「梵天」を社殿に奉納し、
本殿より更に奥の岩窟(場所は秘匿)に安置された御神体(渡来仏)を
薬師堂に納めて行われる祭。
祝詞奏上が終わると、御神体が開帳され、
その湿り具合で、今年の天候を占うと言う。
開帳が終わると、「梵天」が参詣者の中に投げ入れられ、
激しく奪い合う「梵天ばやい」は、県指定無形民俗文化財。
当所、地図で位置を確認すると、車道からそれほど遠くなかったので、
気楽な気持ちで参拝したが、雑草に覆われた参道や、
まして、鎖やロープをよじ登る参拝になるとは想像していなかった。
参拝後、汗をぬぐい、喉の渇きを潤すため、
急いで自販機を探して、車を走らせた。
参道入口 | 境内入口 |
境内 |
拝殿? 護摩堂? | 山道の参道 |
ロープを伝って登る(3箇所) | 山頂境内 |
奥の社殿(本殿?) | 手前の社殿(薬師堂?) |
由緒
祭神、保食神。神事、「梵天ばやい」・「田の神迎えの神事」・「作占」。 当社の草創は不詳なるも第十八代反正天皇の御宇に船形山に奉祀されたと伝えられる(「観蹟聞老志」)。もと勅願寺真言宗飯峰山信楽寺が別当職を務め船形権現と称し仙台藩主伊達政宗公より祭料七貫文の奉納以来歴代藩主の安堵があった。藩内雨乞祈祷所十か所の一つである。 明治三年船形山神社と称し田の神迎えの神事。御正躰を山中より迎え、その発現によって豊凶作占する。又神庭に於いては梵天を奉納、これを争いあい里に帰り、田の水口に祭り豊作を祈年すれば、年の豊作と言われる。近年までは女人禁制の荒祭りであった。 −『平成祭データ』− |