[HOME] > [神社記憶] > [北海道東北地方] > |
|
鹿島神社
かしまじんじゃ
福島県福島市小田字鹿島山29
|
||
式内社 陸奥國信夫郡 鹿嶋神社 |
福島県福島市にある。
南福島駅の南西3Kmほどの鹿島山に鎮座。
湯川と148号線(水原福島線)に挟まれた場所。
境内入口は南側にあり
入口から見ると、こんもりとした丘の上が境内。
入口の鳥居をくぐり、参道の階段を上る。
参拝は8月、夏休みの午後。
参道には赤い幟が並んでいた。
階段を上ると、もう一つの鳥居が立っている。
参道左脇に、多満留福稲荷の小祠がある。
「たまる」と読むらしいが、ご利益がありそうな名前だ。
また、その隣りには茨城の鹿島神宮同様に「要石」もあるが、
こちらの要石の方がやや大きめだ。
参道を進むと、砂利の境内。
奥(北側)に、新しい社殿が立っている。
入母屋造の拝殿の後方に覆屋があり
木羽葺神明流造の本殿は未確認。
社伝によると、昔、
篠生(信夫)が湖沼であった時、
わずかに水上に出ていた鹿島山上に
蝦夷地経営のため、常陸国鹿島神宮を分祀勧請したという。
式内社・鹿嶋神社の論社の一つ。
中世には、牧野紀伊守の住む小倉館(鹿嶋館)があり
小倉鹿島神社とも呼ばれていた。
参道脇や、社殿の周囲には
多くの石碑や石祠が並んでいる。
周囲に点在していたものを集めた感じだ。
社域 | 鳥居 |
参道 |
参道鳥居 | 多満留福稲荷 |
要石 |
境内 |
拝殿 | 本殿覆屋 |
鹿島神社由緒
鎮座については不詳であるが、古昔、篠生(信夫)郷が湖沼であった時、僅かに水上に出ていた鹿島山上に常陸国鹿島神宮より蝦夷経営のため分祀勧請したと伝えられている。桓武天皇延暦元年凶賊を征伐することを祈念し、神験あるために勲五等及び本国の封に戸を授かる。延喜式制定(905年)に当たり、本社もその例に入る。 本社の位置は古代の小倉郷の中央小さな独立丘陵上にあり、旧米沢駅路にそっており、古くより福島の古社として栄えた。 中世には牧野紀伊守の居住する小倉館(鹿島館)といわれた城館があり、別名「小倉鹿島神社」ともいわれている。 本社の本殿は木羽葺神明流造りで、江戸中期以前の建築で当地でも古い木造建築物の1つとされている。境内には霊石の要石があり、古くはこの石の位置に社殿があったと伝えられていて、今ではこの石に触れると安産になると信じられている。 また、かつて境内の前を流れていた濁川に架かる石橋は明治21年に建立したもので「よろづ世にかけて朽ちせじ里の名の おぐらの橋の名さへ橋さへ」と、この地区が神社を中心に橋の名とともにいつまでも語り継がれ発展することを詠んでいる。 −『平成祭データ』− |
【 鹿島神社 鹿嶋神社 (福島市小田)(印刷用ページ) 】