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白河神社
しらかわじんじゃ
福島県白河市旗宿関ノ森120  Zenrin Data Com Maps display !!


丸の内に
竪三つ引


九曜

式内社 陸奥國白河郡 白河神社
旧村社

御祭神
鹽伊乃自直命(白河国造)
天太玉命 中筒男命 衣通姫命

福島県白河市にある。
白河駅の南7Kmほどで栃木県との県境の近く。
有名な白河関跡内に鎮座している。

道路の東側に白河関跡の案内があり、入口は西向き。
入口を入ると、木の蔓が斜めに参道を横切り、その背後に鳥居がある。

鳥居をくぐり、参道を上ると社殿。
以前は立派な二本の木が、鳥居のように聳えていたようだが、
今は上部がなく、すこし淋しげな印象だ。

関の明神、二所関明神とも呼ばれる神社。
境内は、特別史跡名勝天然記念物に指定されている。

社伝では、成務天皇五年九月、白河国造・鹽伊乃自直命を祀り、
宝亀二年(771)三月に、
天太玉命、住吉明神・中筒男命、玉津島明神・衣通姫命を祀ったという。

社殿の屋根には引両の紋が付いていたが、拝殿向拝には九曜紋が付いていた。
九曜紋は、単なる飾りかもしれない。

有名な史跡なので、見所は多い。
神社巡りというより、観光で訪れる場所だ。
参道の左手には、見落としそうな枯れた木の根元のみ。
源義経の矢立の松の痕跡らしい。
御利益を期待して人々が持ち去った残骸。

境内右手には、従二位の杉という大樹が八方へ枝を延ばし、
見上げていると異界の樹木のようで、ゾクッとする。


白河関跡入口

蔓と鳥居

参道

境内

境内社殿

拝殿

本殿

空湟跡

古関蹟の碑

境内


矢立の松

古歌碑 平兼盛・
能因法師・梶原景季


境内社

境内社

旗立の櫻

従二位の杉

従二位の杉

神社に傳はる傳承によると、成務天皇5年9月白河國造鹽伊乃自直命を祀り、國内守護と崇め、寳龜2年(771)3月9日、天太玉命、住吉明神、中筒男命、玉津島明神衣通姫命を祀る、と傳へてゐる。古來より言はれてゐるやうに、白河國造を祀つたと解するのが自然であらう。
「國造本紀考」によると、 白河國造  志賀高穴穗朝御世、以天降由都彦命十一世孫、鹽伊乃己自直、定賜國造 白河ハ、倭名抄、陸奥國白河郡 白河クとある是なり、同書に、國分爲高野郡、今分爲大沼、河沼二郡と見えて、古ハ今の大沼郡なとの地をもかけて、白河國と云しなり、・天降天由都彦命、阿尺國造の條にいへる如く、天降供奉とある文にて、此天降二字も甚明らかなり、・鹽伊乃己自直も姓も考へす、以字、孫字、例に因て補ふ、神名式、白河郡白河神社あり、とある。正鵠を得た見解であらう。
ところで、この白河神社は、「白河風土記」や吉田東伍の「大日本地名辭書」では、白河市内の鹿島神社をあててゐる。例へば、「大日本地名辭書」では、 蓋延喜式所載白河郡白河神社是なり、一書に關明神を以って白河神社に擬せるは採り難し、と論及されてゐる。この鹿島神社は、言ひ傳へによると、弘仁2年(811)正月9日常陸國鹿島大明神を勧請して鎮守とし、神體には、小田切、瀬上の二劍を奉じ韴靈神劍を表す、と傳へられてゐる。
續日本紀の寳龜11年(781)12月丁巳の條に、祈桃生白河等郡神一十一社とある。「白河等郡神」とあるから、當然、白河神社も含まれてゐた、と解される。又、「新抄格勅符抄」の大同元年(806)の牒には、白河神、二戸、同國(陸奥國)同年十月廿日符、
とある。つまり、弘仁2年(811)に鹿島神社が勧請される以前に、「白河神」と文献にみえてゐる。
三代實録の貞観8年(866)正月廿日の條には、先是、常陸國鹿嶋神宮司言、大神之苗裔神卅八社在陸奥國、菊多郡一、岩城郡十一、標葉郡二、行方郡一、宇多郡七、伊具郡一、旦理郡二、宮城郡三、黒河郡一、色麻郡三、志太郡一、小田郡四、牡鹿郡一、とある。
ここには「白河郡」は全く記載されてゐない。もしも、弘仁2年(811)に鹿嶋神社が勧請されてゐたならば、貞観8年正月廿日の條に載せられるべきであらう。しかし、載ってゐないことから考へても、「白河風土記」や吉田東伍の説を支持することは不可能ではなからうか。
「西白河郡誌」(大正4年9月刊)の村社白河神社の項には、本社の側に俗に往古関屋の趾と稱せられて塹濠を廻らしたる平地あり客歳此濠中より左圖の如き古碑を發見せりとあり、碑文の表面には、白河神社別當法主  石積権大法師位  弘安五年壬午八月十七日と記されてゐる。この碑文によれば、鎌倉時代の弘安5年(1282)には、當社が白河神社と考へられてゐたことが理解できる。

−『福島県神社誌』−



古関蹟の碑
 白河藩主松平定信(楽翁)が寛政十二年八月、ここが、白河の関跡であることを確認して建立した碑である。

矢立の松
 治承四年、源義経が、平家追討のため平泉を発し、この社前に戦勝を祈願してこの松に矢を射立てたと伝えられる。
 矢立の松も戦時中 無事と戦勝を祈願して、その枯片を持ち去り、今は少量の根を残すのみです。

古歌碑
便りあらば いかで都へつけやらむ 今日白川の関はこえぬと
平兼盛
都をば 霞とともに立ちしかど 秋風ぞ吹く 白河の関
能因法師
秋風に草木の露をはらわせて 君がこゆれば 関守もなし
梶原景季

従二位の杉
 鎌倉初期、従二位藤原家隆が手植し奉納したと伝えられる老木である。樹齢八百年 周囲約五メートル

−案内板より−



【 白河神社(印刷用ページ) 】

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