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瀬戸比古神社
せとひこじんじゃ
石川県鹿島郡中能登町瀬戸ケ1、2合併地
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石川県鹿島郡中能登町にある。
能登二宮駅の北西4Kmにある山間の瀬戸に鎮座。
車道の横に鳥居があり、
社前を小川が流れて、小川沿いに参道がある。
参拝は午後遅く、日が傾き始めており、
境内は、木々のために暗かった。
境内の右手、神馬像の横に狭い石段があり、
石段の上に、石の垣に囲まれて何かが祀られていた。
境内は暗かったが、その石段の上には、西日が射し込み、
良い雰囲気だったので、上って確認。
2つに割れたような石がおさまっていた。
社伝によると崇神天皇の御宇の創建。
黒川明神とも、荒魂社とも称した神社。
一説に、瀬戸比古神の荒魂を祀り、黒川明神は相殿の神とする。
瀬戸の社名は、狭門。
山間の谷合に鎮座する神なのだ。
が、本来の鎮座地は、志賀町と中能登町の境にある眉丈山の山中ともいわれ、
数度の遷座で、現在地に落ち着いたらしい。
『式内社調査報告』には、境内社として諏訪社が記されている。
場所は、境内右手の小山の中腹となっているが、
石段上の石が、その諏訪社だろうか。(未確認)
鳥居と参道 | 境内の由緒板 |
境内社殿 |
境内参道 | 境内右の石段 |
神馬像 | 石段上の垣内に、こんな石 |
瀬戸比古神社
当社は崇神天皇御宇創
建せられたる社にして
延喜式内の社なり。 仁壽
元年文徳天皇御代より永
徳元年後円融天皇の御宇
に至る迄に九度の神位を
進められたり御由緒 祭神は速秋津比古命 應神天皇 軻遇突智命が 配祀され瀬戸郷の惣社な り。明治四拾年八幡神社 を合祀、明治四拾壱年神 饌幣帛供進社に昇格す。 その後、黒川大明神を合 祀し、崇敬せられたり −境内石碑− 瀬戸比古神社の由緒
当社は、崇神天皇御宇創建せられたる社にして、延喜式内の社なり。仁壽元年文徳天皇の御代より永徳元年後円融天皇の御宇に至るまでに九度の神位を進められたり。 往昔は瀬戸郷と称し、一郷の惣社にして畠山領主より幾多の神田を寄附せられたりと傳う。 当社の境域は、最も幽古なる霊地にして、地形南北の山間に孤立し、瀬戸川の川の口を塞ぐ此川の水源は羽咋郡倉垣村の山境より発し、此処に架く天造地設の趣あり、御往時、羽咋郡地籍なりし折り、此地を以て能登郡との郡界とす。 今は、鹿島郡に属す。 −『平成祭データ』− |
【 瀬戸比古神社 (中能登町)(印刷用ページ) 】