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城山神社
きやまじんじゃ
香川県坂出市府中町本村4760
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式内社 讃岐國阿野郡 城山神社 名神大 |
香川県坂出市にある。
讃岐府中駅の北西1Km。城山(462m)の東麓に鎮座。
参道の鳥居の先に、山が見える。
多分、それが城山だと思うが、確信は無い。
境内の正面に拝殿。後方に本殿がある。
本殿はコンクリートの垣の中にあり、ちょっと撮影しにくいが、
離れてみると、屋根の上に千木が見える。
本殿の横に、4つの石祠がある。
四神殿と書かれた境内社で、
右から、入彦大明神、於加美社、八幡社、春日社。
鎮座地である府中には、讃岐の国府が置かれ、
城山には大規模な朝鮮式山城が築かれていた、
讃岐の中心地である。
社記によれば、讃岐国造の祖である
景行天皇の皇子・神櫛別命の死後、
その霊を城山に祀ったのが起源。
よって、当初は城山山頂の明神ケ鼻に鎮座していており、
今でも菅公祈雨の霊蹟として古代祭祀の跡があるらしい。
「菅公祈雨」とは、平安時代仁和四年(888)、
讃岐国守となった菅原道真が、旱魃に際し、
城山の神に祈雨の祈りを捧げたところ、
雨が降ったというもので、当時、菅原道真の読み上げた祭文が残されている。
境内の左手には、その菅原道眞を祀った雨請天満宮がある。
正平十七年(1362)、細川清氏の白峯合戦により焼失し、
府中の印鑰へ遷座。ゆえに印鑰大明神とも呼ばれていたが、
いつの頃か、現在地に遷座したという。
また、神櫛別命は讃岐の悪魚を討ったという伝承がある。
この悪魚とななんだろう。
金毘羅はガンジス河の神(鰐)であるという。
鰐=悪魚と考えると、城山神と金毘羅の対決と見ることもできるが、
詳しくは分からない。
神紋は、拝殿の屋根に付いているのを確認したが、
よく分からなかった。
『神社名鑑』には、「丸城印」と書かれていたが、
正確な形は不明。
社名からとった神紋だと思う。
鳥居と城山 | 参道と城山 | 社号標 |
参道 | 社殿 |
社殿 |
拝殿 | 本殿 | 本殿 |
雨晴天満宮 | 四神殿 春日社 八幡社 於加美社 入彦大明神 |
城山神社由緒略記
人皇第十二代 景行天皇
の皇子 神櫛皇子は我讃岐
国造の始祖にして南海に出
没せし悪魚を討する等治
績大いに挙り民深く其徳
に服せり宝算百二十歳を以
て薨去せられ民敬慕欽仰
の餘神として是を城山の頂
上に祀れり是此の神社の
創始なり菅公の此の国に守
たりし時偶々大旱苗種悉く
枯れんとす公至誠祈願を捧
げらるゝや忽に甘雨大いに降
り全讃八十九郷爰に蘇生せ
り爾来神威赫々遠近崇敬
至らざるなし貞治元年細川
両家の争戦の時兵火に罹
り御神体はかり印鑰の地に
移して印鑰大明神と称し
其の後この地に移し奉る実に
延喜式内(名神大県社なり)−拝殿由緒額より− 城山神社(印鑰大明神)
参拝のしおり
当社は坂出市府中町4760に鎮座しており、神櫛別命をお祭りしている。
神櫛別命は景行天皇の御子で、讃岐公及び酒部公の祖先である。
貞観七年従五位上に叙せられた。
仁和四年五月国守管原道具公は、祈雨の祈願をした。
延喜の制で名神大社に列し、その後国府をこの城山麓に定めた時、府内鎮守の神としたので代々の国司、領主及び地方民の崇敬厚く、古来地方の名社として今日に及んだ。明治三十六年県社に列した。
−『平成祭データ』−[原文ママ] |