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茂侶神社
もろじんじゃ
千葉県船橋市東船橋7−20−1
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式内社 下總國葛餝郡 茂呂神社 |
千葉県船橋市にある。
総武線東船橋駅の南1Kmの東船橋に鎮座。
中学校の南側にあり、境内入口は南。
「延喜式内 茂侶神社」と刻まれた社号標から
100mほどはある参道の細い道を歩くと、
境内入口の鳥居。
都市部にある神社だが、木々も多く、背後の杜も深い。
参拝は、休日の早朝。
すでに参拝者が数名。
付近の方が、散歩の途中に立ち寄っているのだろう。
創祀年代は不詳。
通称、茂侶浅間神社と呼ばれる神社で、
式内社・茂呂神社の論社の一つ。
ただし、論証を欠いており、可能性は薄いようだが。
社殿には、棕櫚葉の神紋が付けられていた。
静岡の浅間神社の神紋だ。
社殿の後方に、裏参道があり、
境内の北側から外に出られるが、
そこに、小祠だが、構えの立派な境内社がある。
祭神・木花咲耶姫命の姉神・磐長姫命を祀る、御嶽神社だろう。
また、当社西北に、当社の神泉・天の真名井があるらしいが、
気づかなかった。
社号標 | 参道 | 参道 |
境内 |
境内 | 社殿 |
本殿 | 社殿背後の境内社、御嶽神社か? |
茂侶神社縁起
当茂侶神社の起源は古く、延喜式神明帳に「下総国葛飾郡二座茂侶神社・意富比神社」とあり、今を去る千六十年前すでにこの地に鎮座されていたのであります。愛媛県越智郡瀬戸内海大三島、祭神は阿多の豪族大山祇神の姫御子で日本の女性の表徴である木花開耶姫を祀り、古来、縁結び・安産子育ての神として地元民の崇敬する処でありました。摂社として祭神の姉命磐長姫を祀り、御嶽神社と申して居ります。 三代実録に清和天皇の貞観十三年十一月十一日、下総国従五位下茂侶神に従五位上を授くとありました。 陽成天皇の元慶三年九月二十五日、下総国正五位下茂侶神に正五位上を授くとあります。西北にある湧水は「天の真名井」と称する当社の神泉であります。江戸名所図会によれば年の始に隔年この神域より柳営に根引若松を選び上納する旧例とあります。古来例祭は旧暦六月一日に行います。 −『平成祭データ』− |
【 茂侶神社 (船橋市)(印刷用ページ) 】