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足長神社
あしながじんじゃ
長野県諏訪市四賀普門寺
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諏訪大社上社摂社 |
諏訪湖の南東、桑原城跡の麓にある。
20号線の四賀交叉点(自動車教習所がある)を東に入り、
JR線路を越えて、424号線を少し登ったところの丘の上。
424号線から階段を上るが、そこには鳥居がないので、注意しないと見逃してしまう。
僕は見逃してかなり先まで登ってしまった。
諏訪大社上社の摂社で、本宮の北東2K程にある。
桑原郷は、上下に分かれており、上桑原に当社・足長神社、
下桑原に手長神社が祀られている。
祭神の脚摩乳神は、奇稲田姫神の父神で、足名椎命とも書かれ、
手摩乳神と夫婦神である。
八俣大蛇による、娘(奇稲田姫神)の危機を素盞嗚尊に救われた。
素盞嗚尊の子(あるいは子孫)が、大己貴命であり、
上社祭神、建御名方命の祖にあたる。
社記によれば、当初、ここに足長・手長両神が祀られていたが、
手長神は、下桑原へ分祭され、荻で屋根を葺いていたので、
「荻の宮」と呼ばれていたという。
足長の社名により、旅の安全を守る神。
当社にも御柱があり、御柱祭では、引き上げ競争が行われる。
階段を登ると、広場のような境内があり、左手に神楽殿らしき社殿。
正面の二本の木に挟まれた階段上に、拝殿がある。
本殿は、拝殿裏の一段高い所に鎮座。
木々の中に包まれている。
境内右手には、小さな石祠が並んで祀られている。
階段上の拝殿 |
神楽殿? | 境内社の石祠 |
拝殿 |
本殿 | 神紋 | 本殿 |
一之御柱 | 二之御柱 | 三之御柱 | 四之御柱 |
足長神社は桑原城跡の山腹に鎮座する。境内は古松・老杉に囲まれ、諏訪湖とその周辺を樹間に眺望
できる秀景の地である。祭神は足摩乳神で、諏訪上社の末社の一つとして、また、上桑原郷の産土神と
して古くから崇敬されてきた。社記によれば、当社は初め足長・手長の両神を合祭し(手長の神はのちに
下桑郷に分祭)、荻をもって社宇の屋上を葺いたことがら「荻の宮」とも呼ばれたという。嘉禎四年(一二
三八)の『諏訪上社物忌令』にも「荻宮明神文珠 足長」とある。また、社記の由緒の項には、大同年間、諏
訪神社大祝有員(上社大祝の始祖)が当社を崇敬し、広大な社殿を建築して自らも近接地に居住したため、
その地を御曾儀平(みそぎだいら)と呼ぴ、有員の廟墓もあると記されている。 例祭は、古くは十月二十七日、現在は十一月二十七日で、当日、参拝者にみかんを配る。 当社の口頭伝承によれば、足長神は手長神を背負って諏訪湖で貝や魚をとったといい、また大きな長 いわらじを奉納すれば足長神が旅の安全を守ってくれるという。かつて人々は当社にわらじを奉納して 旅の安全を祈った。 なお、江戸時代、地元の上桑原村では、諏訪上社の御柱祭に「高島藩家老騎馬行列」を奉納していた が、明治四年の廃藩後、同五年からは足長神社に奉納するようになり、今日に至っている。旧村社。 −『日本の神々』− |
【 足長神社(印刷用ページ) 】