[HOME]  >  [神社記憶]  >  [甲信越地方]  >
メニューを表示する 表示用ページ


鼻顔稲荷神社
はなづらいなりじんじゃ
長野県佐久市岩村田花園町4261  Zenrin Data Com Maps display !!


焔宝珠

旧無格社

御祭神
宇迦乃御魂命
配祀 猿田彦命 大宮能売大神

長野県佐久市にある。
佐久平駅から東へ3Kmほどの岩村田花園町に鎮座。
岩村田は、中山道の宿場町。当社を中心に栄えた町だったようだ。

岩村田商店街から44号線を東へ進み、
湯川にかかる橋を越えると、道路の北側に赤い鳥居が立っている。

当社境内は、湯川を望む崖に貼り付くようにあり、
湯川から、見ると面白い境内だ。
よく見ると3つの社殿が並んでいるが、社務所、参籠所、拝殿だと思う。


湯川対岸から見た社殿

社殿。拝殿本殿・社務所・参籠殿だと思う

南の参道入口から鳥居をくぐると、
直進する表参道と、右手に階段を登る男坂参道に分かれている。


境内案内図

境内入口

参道鳥居

男坂

表参道を直進すると、神楽殿や水琴窟があり、
その先の鳥居から急な石階段の参道が上に続いているが、通行は禁止。

その鳥居の奥に、縁結びの相生の木があり、
女坂参道が上に延びている。
女坂参道は、足場の上に造られた橋のような感じなのだ。


神楽殿

水琴窟

通行禁止の石段

女坂

表参道を進み、男坂参道と合流すると、御姿殿。
眼がキュートな狛狐が二対、参拝客を出迎える。

御姿殿の左手が社殿。崖の足場を組んで造られており、懸崖造という
床板の下は崖なので、静かに奥に進むと、
右手奥に岩に塗り込められた旧本殿があり、
直進すると新しい本殿。
赤い格子の奥には、同じく岩に塗り込められた本殿が見える。


御姿殿

眼がキュートな狛狐

狛狐

男坂から参道

拝殿

本殿

旧本殿

本殿

当社の創祀年代は不詳。
永禄年間に京都伏見稲荷からの御分霊を勧請したと伝えられている。

案内によると、日本五大稲荷の一つだとある。
五大稲荷とは、当社の他に、
京都伏見稲荷、愛知豊川稲荷、佐賀祐徳稲荷、茨城笠間稲荷だそうだ。

境内の東側、崖の上は鼻顔公園になっており、
境内からの登り道の途中に、萩原井泉水の句碑。
さらに進むと、大神宮が鎮座している。

崖上は、今は広い公園となっており、
球場などの施設があって、市民の憩いの場となっている。
が、勧請当時の姿は、どんなだったのだろうか。

周囲には遊郭などもあったそうで、鬱蒼と茂る木々の参道を登ると、
暗い境内の奥に岩に塗り込められた稲荷大神
さらに上には鬱蒼と茂る森がある、そんな境内だったのではないだろうか。
想像すると、ちょっと怖い場所だったのかもしれない。


萩原井泉水句碑

大神宮

鼻顔稻荷神社
1.所在地佐久市大字岩村田字鼻顔(花園町)
2.祭 神宇迦乃御魂命猿田彦命大宮能売大神
3.由 来 永禄年間(1558〜1569)に京都の伏見稲荷大社より御分霊を いただいて祭られた神社と伝えられ、現在は天下泰平、五 穀豊穣、家内安全、商売繁昌、交通安全、進学成就の守 護神として広く信仰をあつめ、京都の伏見、愛知の豊川、佐賀 の祐徳、茨城の笠間と共に、五代稲荷の一つに数えられている。
4.祭 日 歳旦祭(1月1日)初午(2月初午の日)二の午祭(2月二の午の日) 小満祭(5月小満の日)例大祭(9月16日)除夜祭(12月31日)

−社頭案内板−



鼻顔稲荷神社由緒書
鼻顔稲荷神社鎮座の年代については、記録上詳しく知ることは出来ませんが、永禄年間(今から約四百三十年前)に京都の伏見稲荷大社より御分霊をいただいて祭られた神社と伝えられ、以来東信濃における稲荷信仰の中心として広く崇敬を集め栄えて参りました。
鼻顔稲荷神社の御神徳は顕著で、天下泰平、五穀豊穣、家内安全、商売繁盛、交通安全、進学成就の守護神として霊験あらたかで御功績は実に広大無辺です。

−『平成祭データ』−



【 鼻顔稲荷神社 (佐久市)(印刷用ページ) 】

ボーダー




no index