一、 | 御創立の年月日は、詳しくはわからないけれど大体千三百年前ごろと推察される。 |
一、 | *延喜式に「周防国十座、佐波郡六座三坂神社」とあり。
*延喜式は平安初期に施行された諸制度の編纂書、撰者は藤原時平ら九二七年完成。 |
一、 | *日本総国風土記に「三坂神社は三坂村にあり」と。
*日本総国風土記は、狭義には七一三年元明天皇が諸国に詔して調査してできた報告書のようなもの。尚日本総国…は偽書とされている。 |
一、 | 周防国名所私記に「三坂神社は玉祖郷の内劔神社より二里ばかり川上の山中に在り、其の里を今も三坂といふ」とあり。 |
一、 | 東大寺正倉院御文書に「*天平十年周防国正税帳に御神命ありて、佐波郡三坂神社に春秋祭祀料又、神社改造の雑用等を充て奉らしめ給ふ」とあり。
*天平十年は七三九年聖武天皇の時代 |
一、 | *続日本後記に「承和六年(八三九)閏正月周防国無位三坂神に従五位を授け奉る」とあり。
*日本後記は桓武天皇(七九二)から淳和天皇の天長十年(八三三)までをしるした漢文編年体の史書。八四○年撰進された。 |
一、 | *三代実録に「貞観九年(八六七)三月周防国従四位下三坂神に従三位を授く」とあり。
*日本三大実録ともいい清和、陽成、光孝三代天皇の時代(八五八〜八八七)を扱った勅撰の歴史書。 |
一、 | *長寛勘文に「天慶三年(九四○)〔平将門のころ〕二月諸神社位記請印の事あり、去る承平五年(九三五)海賊を平ぐる事を十三社に祈り申す。三坂神社に正三位を加ふ」とあり。
*長寛は二条天皇の代の年号。 |
一、 | *源平盛衰記に「永保元年(一○八一)二月神位一階を増し奉らる。永治元年(一一四一)九月に、治承
四年十二月に、元暦二年三月に各一階を増し奉らる」とあり、正一位に進ませ給ふ。
*鎌倉後記の軍記。四八巻。作者は玄琶法印とも伝えられる。 |
一、 | 萬葉集に「千早振る神の三坂に幣奉り祝ふいのちはおも父がため」とあり。今も古式奉幣の儀に三唱。 |
一、 | 周防徳地誌に「足利尊氏西国に走る途次、三坂神社に参り久しく篭りて開運を祈願し御社の北の所で能楽を奏して御神意を慰め奉り
(今も「おのう原」の地名あり)神馬、馬具等を献納せり」とあり。参道に敷いてある石畳は尊氏が敷いたといふ。 |
一、 | 周防徳地誌に「豊臣秀吉公三坂神社に参り、五色の吹貫等を献納し、数日当社の釣鐘を借りて用い、九州博多まで持婦り過ぎて、石州
津和野永明寺に返したるものなり。その釣鐘今もその寺にありという。
鐘の銘に 周防国裟摩郡岸見村 三坂神社 銅頭鉄額 有口不言 等閑觸着 音震乾坤 覚長衣夢 破夢明昏 普今群類 入国通門 應永二歳八月十五日 再興十方施主 大工 大和光用 |
一、 | 藩主 ニノ鳥居献納 銘に延喜式内三坂神社(中略)大江侍従吉廣元禄十一年(一六九八)戊陽月」とあり。 |
一、 | 明治六年郷社に列せられる。明治三十五年神殿銅板葺替え。 |
一、 | 公爵毛利元昭閣下大正四年四月廿日御参拝。 |
一、 | 大正八年四月五日県社に列せらる。 |
一、 | 昭和五年千二百年祭執行 |
一、 | 日支事変、大東亜戦争中、武連長久祈願のための参拝者数知れず。野尻防石鉄道岸見駅より社頭までニキロの道を延々人並みが続いた。
一日最高祈願数は八百八十と云ふ。昭和十九年七月七日サイパン島守備隊玉砕の日参拝者の重みのためか中殿の座がくずれ落ちると同時に境内の椎の大木がさけたという事もある。 |
一、 | 昭和二十年終戦の年十二月国教分離により社格削除される。 |
一、 | 昭和二十一年六月占領軍MPに依り臨検を受く。参拝者名簿は事前に焼却した。参拝者の写真は大部分送り返し、残りの分は隣家の床下
に隠して無事であった。現在約一万数千が保管してある。 |
一、 | 昭和二十八年宗教法人制となり、氏子又は崇教者により推持運営されることになる。 |
一、 | 昭和三十年十二月 千二百二十五年祭執行。しゃぎり等で賑わう。 |
一、 | 昭和三十三年社号碑、三十五年演舞場建設 岸元首相も参拝された。 |
一、 | 昭和五十四年神木と称えられた「オオマツ」が枯れ、伐切売却した。 |
一、 | その年から拝殿・中殿・釣殿の屋根を銅板にし、神殿・中殿の壁を修理した。二月に完成。 |
一、 | NHK全国放送(二月〜三月)のため参拝者が急に増えた。 |
一、 | 昭和五十五年十一月千二百五十年祭執行。神徳碑を建立し、その下に写真名簿を埋納した。 |
一、 | 昭和六十年一月からKRYテレビ「写真の中の日本人」などで紹介されて、全国的に知名度が高まった。 |
一、 | 平成七年三月、終戦五十周年を記念して氏子から献納された石で参道を改修した。「平和の礎]と呼称する。NHK全国放送。 |
一、 | 戦後五十年経過しても尚無事婦還御礼の参拝者が全国からあり、他には方災除や交通安全祈願も数を増してきつつある。尚、氏子の氏
神に対する尊崇の念や氏子同士の結束の固いのも近郷に有名である。 |
平成七年三月記(宮司佐伯治典謹白) |