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燒津神社
やいづじんじゃ
静岡県焼津市焼津2−7−2
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式内社 駿河國益頭 燒津神社 |
静岡県焼津市にある。
焼津駅の南西500mの焼津に鎮座。
境内入口は南側にあり、鳥居をくぐると広い境内。
100mほどの参道の奥に社殿がある。
参道には、祭神・日本武尊像があり、参拝者を見下ろしている。
参拝日は、晩秋の休日の午後。
天気が良すぎて、陽射しが強く、
木々の影になった部分とのコントラストが強く、
写真撮影は失敗。
境内には多くの境内社があるのだが、
一部撮影を失敗したので、それらの写真は割愛した。
でも、社殿の近くにある御神木は印象的だったので掲載。
僕には焔に見えた。
創祀年代は不詳。
一説には、反正天皇四年の創立であるという。
焼津の地名は、『古事記』に記載されている
当社祭神・日本武尊の故事によると言われている。
つまり、日本武尊東征のおり、
相模国に到着したとき、国造に騙され、
野原に火をつけられた。
その時、剣で草をなぎ払い、火打ち石で向い火をつけて
危機を脱した。
その焼き払われた地が、焼津だという。
『古事記』では、相模国(神奈川)となっているが、
駿河国が正しいらしい。
配祀の三柱は、祭神の東征に従った神々。
古くから、入江大明神とも呼ばれた神社だが、
入江大明神は、境内摂社の市杵島姫命社のことであるという説がある。
当社の御神体は、水石と火石であるらしい。
これらは、祭神・日本武尊が持っていた石であるという。
また、伝承によると、日本武尊が、水石・火石の二つを投げたところ、
一つは熱田神宮、もう一つは当社・焼津神社に落ちたという。
どちらも、火に関連する社名だなぁ。
神紋は桐紋と巴紋。
社殿には巴紋が付いていたが、
授与所のお守りなどには、桐紋も。
多くの境内社があり、そのすべての社名は判らなかったが、
確認できたのは、郷魂祠、焼津御霊神社、焼津天満宮、
市杵島姫命社、春日社、橘姫社、八幡社、天王社、
稲荷社、竃神社、浅間神社。
あとは、社名が無かったり、記録し忘れてたり。
『平成祭データ』には、末社として、上記以外に
須賀神社と市神社が記されているが。
鳥居 | 参道 |
境内 |
拝殿 | 本殿 |
参道の日本武尊像 | 御神木 |
郷魂祠(招魂社) | 焼津御霊神社 |
焼津天満宮 | 石祠 |
市杵島姫命社 | 春日社、橘姫社、八幡社、天王社、 稲荷社、竃神社、浅間神社 |
縣社 燒津神社
志太郡燒津町燒津鎮座 燒津驛の西南凡七百米、バスの便あり
祭 神 日本武尊 (相殿) 吉備武彦 大伴武日連 七束脛例祭日 八月十三日 由 緒 延喜式神名帳所載駿河國益頭郡燒津神社は本社である。當地は日本武尊東夷征伐の舊跡にして當社の創立 せられた所以も又こゝに存す。總國風土記には反正天皇四年巳酉所祭とあり、また駿河國諸郡神階帳によれば神階正四 位下燒津明神とある。今川氏の代より入江大明神と稱へ社領五百石を寄進せりと言ふ。徳川氏に至り、家康社殿を造營 し、又代々七十石の朱印を附せられた。明治六年三月二十二日郷社に、同十六年六月二十五日縣社に列し、同二十四年 六月九日内務省より古社保存金壹百圓を交附され、同四十年一月十二日神饌幣帛料供進社に指定された。 −『静岡縣神社志』より− |