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面沼神社
めぬまじんじゃ
兵庫県美方郡新温泉町竹田字米持前1
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式内社 但馬國二方郡 面沼神社 |
兵庫県の新温泉町にある。
JR浜坂駅の南東5Kmほどの竹田に鎮座。
岸田川に沿って47号線を南下し、
9号線と合流する地点。
岸田川にかかる出会い橋の北に境内がある。
9号線から北へ入ると、山の南麓に鳥居が見える。
参道を進み、小川にかかる橋を渡ると境内。
鳥居前には「式内社 郷社 面沼神社」と刻まれた
新しい社号標が建っている。
神社社格制度が廃止されたため、
通常、神社境内入口にある社号標は
「村社」「郷社」などの旧社格は刻まないか
昔の痕跡を消していることが多いのだが。
鳥居をくぐると階段上に社殿。
拝殿の後方に覆屋に納まった本殿がある。
創祀年代は不詳。
式内社・面沼神社に比定されており、
二方郡の総社であった古社。
鎮座地の字は、米持(めじ)といい、
当社の鎮座する山麓の丘は面治山と呼ばれており、
当社も、米持大明神とも、面治(めじ)大明神とも称していた。
しかしながら、延喜式に「面沼」と誤記された結果
明治三年六月に、面沼神社と改称したらしい。
また、当社を面沼(めぬま)と称するのは、
二方国造・美尼布命を祭神としているからとも伝えられている。
明和七年(1770)の『面沼神社考』によれば、
上社(天穂日命)、中社(美尼布命)、下社(倉稻魂命)
という祭祀形態であったらしい。
明治六年十月、郷社に列し、
明治四十二年、常盤・米持・二柱・竹中・弥栄・寿賀の
無格社五社を合祀。
昭和十七年、県社への昇格を申請したが
大戦により、昇格は適わなかった。
境内左手には、「めぬ池」るいは「茗荷池」と呼ばれる小さな池。
毎年、陰暦正月七日辰の刻、
この池の中にある小島に茗荷が三茎生えるといい、
これを摘んで、神前に供え、
その後、庶民に拝観させる古式があったようで
当社の通称は、「茗荷さん」。
その茗荷の色で、その年の豊作を占ったそうで
当日は女人の参拝は禁止されていたという。
社域 |
参道 | 鳥居 |
境内 | 拝殿 |
社殿 | 社殿 |
神池・茗荷池(めぬ池) | 境内社 |
茗荷池内の石 |
御由緒
一の鳥居は湯谷、二の鳥居は伏拝み、三の鳥居は宮前と伝えられ、後山の徳原さんには奥宮の米持神社が祭られています。菅原道真公の延喜の時(九二七年)、大化改新(六四五年)による律令制度が式に整えられました。この式の中の神名帳に面沼神があり(式内社)、山陰道の駅名として面治駅があるのです。温泉郷一宮、二方総社の面沼神には春と秋、国からお供えの列が参りました。奉幣といい、国幣の宮だったのです。中、近世、神さまは「めしの宮」、「明持大明神」「米持大明神」と、いろいろに云われました。そして、弘化四年(一八四七年)四月には温泉庄一八ケ村の村人によって創立千二百年祭が三日間にわたって祝われております。 明治になり、面沼神社と改称された宮は、郷社格が六年(一八七三年)にあり、神饌幣帛供進神社として、大正四年(一九一五年)指定がありました。 但馬の七不思議の一つ、雪の中を境内の女奴池で茗荷が摘まれ、神に捧げられる。古来、人々その芽を見て年の吉凶を占う。また、当日は裸参りが行なわれるが、風邪をひくこともなく命延びると云い伝えられている。「命賀メデタヤ、富貴ハンジョウ」、茗荷を拝して健康と富を頂くお祭りです。 −『平成祭データ』− |