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荒井神社
あらいじんじゃ
京都府南丹市八木町美里字荒井1
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京都府南丹市(旧八木町)にある。
吉富駅の北東500mほどの八木町美里に鎮座。
園部川が桂川に合流する地点の近く。
408号線から少し西へ入った場所に、
道路に面して南向きの小さな境内がある。
境内入口には石鳥居が立ち、
鳥居扁額には「正一位 荒井大明神」と記されている。
鳥居をくぐると参道がのび、参道の左手に手水社。
参道正面に拝殿があり、
拝殿の後方、少し離れて本殿を納めた覆屋がある。
覆屋内の本殿は、室町時代の建立らしく、
覆屋上部の隙間から流造の屋根が見える。
参拝は夏の炎天下。
境内の外は真夏だったが、木々の茂る境内は木陰となって
ちょっとだけ涼しかった。
創祀年代は不詳。
「三代実録」の、元慶六年(882)十月九日の条に
「丹波國荒井神城崎神並従五位下」と記されている古社で
当地を志麻郷といったことから、式内社・嶋物部神社に比定されている神社。
元慶六年(882)には荒井神と称されていたのに、
延喜式の完成した延長五年(927)には嶋物部神社と呼ばれていることに疑問もあるが、
志賀剛によると、この間に郡司物部氏が入部したためだという。
「大日本史」によると、丹波国郡司として三人の物部氏が
延喜十七年(917)四月に来任しているとあるらしい。
現在の祭神は荒魂神だが、物部氏ゆかりの宇摩志麻遅命とする説もあり、
宇摩志麻遅命の荒魂神であるという。
ただし、当社は母乳の出を良くする神として信仰されており、
荒魂神は似つかわしくないという意見もあるらしい。
元は現社地から60mほど上った場所にあったようで、
西南の役で殉死した京都府下の104名の名が刻まれた明治記念碑が立っているという。
鳥居 | 境内 |
境内 |
本殿覆屋 | 本殿 |
八木町指定文化財
昭和六十年三月三十日指定
荒井神社本殿
当社の創建年代は明らかでないが、『日本三代実録』の
元慶六年(八八二)十月九日の条に荒井神社の名が記され
ている。現本殿については、永生十六年(一五一九)九月
八日桧皮屋根葺替時の寄付者名を書いた板札があることと、
明治八年の『寺社取調帳』に、「永禄九年十月吉日造作」
の板札が一枚あると記されていることから、室町時代後期
の建立と考えられる。本殿は、桧皮葺の一間社流造で、身舎は円柱、向拝は 面取角柱である。柱は長押と頭貫で固められ、柱上には実 肘木付出三斗が組まれる。軒は二重繁垂木で妻飾は豕扠首 である。明暦三年(一六五七)の修理では、屋根葺替とと もに軒より上の部分も補修されたが、当初の垂木が背面に 一部転用されるなど、当初材がよく残る。向拝の木鼻の彫 刻は地方色が濃く、実肘木や板蟇股の意匠や構造は、室町 時代末期の丹波地方の神社建築を知る上で重要である。 −社頭案内板− |
【 荒井神社 (南丹市)(印刷用ページ) 】