[HOME] > [神社記憶] > [関西地方] > |
|
篠田神社
しのだじんじゃ
京都府綾部市篠田町宮ノ下6−1
|
||
式内社 丹波國何鹿郡 阿湏々伎神社 |
京都府綾部市にある。
綾部駅の北15Kmほどの篠田町に鎮座。
494号線に面して、小山があり、その前に鳥居が建っている。
鳥居をくぐり階段を上ると境内。
境内奥に社殿がある。
社殿は入母屋造の拝殿と、その後方に流造の本殿。
本殿の後方に、石の垣に囲まれた場所があり、
案内によると、「御ミノシベ」と呼ばれ、竹が植えられている。
のだが、参拝日は夏の八月で、多くの雑草が混ざっている様子。
創祀年代は不詳。
棟札によると、延暦十五年(796)の再建。
その棟札に、「式内阿須々岐神社」と記されていることから
明治時代に、式内社・阿湏々伎神社を主張し
当時、阿湏々伎神社に比定されていた阿須須岐神社と争いがあったらしい。
『式内社調査報告』によると
その棟札に「元禄七年 願成寺現住快誉」あり、
快誉は元禄六年五月に死去していたようで、
棟札の信憑性を疑っている。
社頭の案内板によると、以前は白田大明神と称されていたらしい。
社殿右手に境内社が並んでいる。
右から春日明神、天照皇大神宮、愛宕護神社、廣嶺神社。
境内左手には、八幡宮がある。
社頭の案内板によると、当社の奇瑞は「筍」らしく
社殿には、竹の子のような、茗荷のような紋が付けられていた。
社殿の紋の図案がよくわからなかったが
境内左手の倉に、筍と笹の紋が付けられていたので
当社の神紋として掲載しておく。
社域 |
境内入口 | 参道 |
境内 |
社殿 | 社殿 |
本殿 |
社殿左の八幡宮 | 社殿左の境内社 |
本殿後方の御ミノシベ |
志賀の七不思議と「竹の子さん」の縁起
その縁起今から、およそ、一四〇〇年前の崇峻天皇の頃、大和朝廷は、国の中心 勢力をかためるため、金丸親王を遣わし、丹波の国々の地方豪族を征 伐することになりました。 すさまじい戦いに悪戦苦闘の末、ようやく丹波の国々を平定した金丸親 王は、おおいに喜び、これ一重に神仏のおかげによるものと、丹波の国々に 七仏薬師如来を納め、国家の安泰を祈りました。また、志賀の里の”藤波” ”金宮””若宮””諏訪””白田(後の篠田)”の五つの社を厚く信仰 されたということです。 親王の子孫、金里宰相は この五社の大明神に千日参りをされ、これを 記念して 藤波大明神には「藤」 金宮大明神には「茗荷」 若宮大 明神には「萩」 諏訪大明神には「柿」 白田大明神には「竹」をお手植 えされ、国家の安泰と子孫の繁栄を祈願され、このことを大和朝廷に報告さ れました。この時以来、この志賀の里にいろいろ不思議な奇瑞があらわ れるようになったということです。なお、この五社のほかに、向田の「しずく松」 「ゆるぎ松」にも同時に不思議な霊験があらわれ、これらをあわせ「志 賀の七不思議」として、今に語りつがれています。 ―その奇瑞 篠田神社=白田大明神の「竹の子さん」 毎年、旧暦の正月四日になると、日の出より八時までの間に、 神殿裏の「御ミノシベ」と呼ばれる竹林から、竹の子が三本出る のです。これを神前に供え、その竹の子の出る場所、その育ち具 合いから、その年の稲作の早稲(ワセ)中稲(ナカテ)晩稲(オクテ) の吉・凶を占うのです。 この神事は、今も、新暦の二月四日に「筍祭 祈願祭」として 行われ、地元の人からは、”タケノコさん”として親しまれて います。 つい最近まで、氏子の人 数人が、三日間籠堂に泊まり、日に 三度づつ、氷のように冷たい篠田川の水を浴び、行をとってき ましたが、今は取り止めになっています。 是非、一度 節分の日にお詣りください。 −社頭案内板− |
「竹の子さん」に関する説明文中にあるように、
金里宰相は、志賀郷の五社に別々の植物をお手植えしたらしい。
その五社とは、下図の五社。
各社の写真は、阿須須岐神社のページに掲載しておいた。
【 篠田神社 (綾部市)(印刷用ページ) 】