[HOME]  >  [神社記憶]  >  [関西地方]  >
メニューを表示する 表示用ページ


多吉神社
たきじんじゃ
京都府亀岡市西別院町柚原北谷1  Zenrin Data Com Maps display !!


十六八重菊

式内社 丹波國桑田郡 多吉神社
旧村社

御祭神
高御産靈神 神御産靈神

京都府亀岡市にある。
亀岡駅の南西12Kmほどの西別院町柚原に鎮座。
大阪に向かって423号線(摂丹街道)をひたすら進み、
大阪との境の手前、733号線との交差点の近くに境内がある。

常楽寺の横、425号線に面して鳥居が立っており常楽寺の奥が境内。
鳥居をくぐり参道を進むと手水舎があって階段を上ると、もう一つの鳥居。

参道鳥居の奥は、鬱蒼として暗く、緩やかに傾斜した境内。
参道脇に由緒石碑があり、もとは萱葺だったと思われる拝殿。

拝殿の奥にも階段があり、階段上に社殿が並んでいるが、
階段下の左手に泉のようなものがある。
「多吉の井戸」と呼ばれる名水らしいが。

本殿はどっしりとした流造。

式内社・多吉神社に比定される古社。

社伝によると和銅二年の創祀。
もとは瀑布の脇に鎮座していたと伝えられ、
天正十二年(1584)霊夢を受けて現在地に遷座し、
神皇産霊神を合祀し、御霊神社と称するようになった。

瀧大明神とも呼ばれていたが、
明治六年、村社に列格し、旧称の多吉神社に戻したという。

古社地には磐座が祀られ石碑が立っている。

当社の神事に「お焚き祭」というものがあるらしい。
拝殿の横に釜をおき、湯を沸かして、笹の葉で氏子にふりかけ
悪魔退散を祈るもの。

瀧のそばで「タキ」と称するようになったという通説だが
「焚き(タキ)」にも関係ありそうだ。
あるいは「お焚き祭」が後付けなのかもしれないが。

また、悪魔退散と御霊にも何かの関連を感じるのは考え過ぎか。

本殿の左右や、拝殿の近く、手水舎の脇などに
境内社の小祠があるが、詳細は確認していない。

唯一、天満宮のみに扁額があった。
本殿の屋根に菊紋が付いていたが、当社の神紋かどうかは未確認。
とりあえず掲載しておく。


社頭

参道

手水舎と小祠

境内 由緒石碑と拝殿

境内社小祠

天満宮

多吉の井戸?

階段上に社殿

本殿と左右に境内社

当社に参拝後、脇道の邪魔にならない場所に車を止め、
当社の磐座を探して歩き回ったが見つからず、
あきらめて、車に戻ろうと423号線を歩いていると、
ガードレールの下の雑草の脇に石碑を見つけた。
当社境内入口から西へ200mほどだろうか。


境内の西200mにある磐座

多吉神社
祭神高御産靈神
神御産靈神
由緒
 延喜式内社多吉神社は、和銅二年 (七〇九)当地柚原の向山瀑布の岩頭に 創立されて滝大明神と呼ばれていた が、天正十二年(一五八四)霊夢を受け 現在地に遷座されて御霊大明神と呼 ばれ、のち明治六年に滝の字にちな んで多吉神社と改められた。
 本殿の妻側にある額は、正徳五年 (一七一五)に京都吉田神社の卜部氏の 書いたもので「当社御霊大明神御神誌」 とあり、当時の名称を示す。
 祭神高御産霊神は、古事記等に国 ゆずりや天孫降臨を命令された筆頭 の神として登場され、天照大御神が 皇室の祖神としてあがめられる以前 にあっては、大王家の祖神であった とされている。
 この神を祭る神社は、全国でも式 内社では五社しかなく、亀岡市内で は当神社一社のみである。

−由緒石碑−



【 多吉神社 (亀岡市)(印刷用ページ) 】

ボーダー




no index