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天満宮
てんまんぐう
福岡県久留米市上津町字本山2077  Zenrin Data Com Maps display !!


梅鉢

旧村社

御祭神
菅原神

境内 式内社 筑後國三井郡 豊比咩神社 名神大
豊姫神社 豊姫命

久留米市上津町、JR南久留米駅から南へ2Kmほど。
3号線を少し西へ入り、狭い道を進むと住宅地にある
こんもりとした山がある。

鳥居をくぐり、木々の茂る参道を登ると、
広い境内に、赤い屋根の社殿が目に入る。

由緒不詳の、旧村社である天満宮であり、祭神は菅原道真
明治43年、近くにあった無格社・天満宮を合祀している。


境内入口

参道鳥居

境内

境内の北原神社

天満宮社殿

祭神 菅原神
由緒 不詳、明治六年三月十四日村社に定めらる。
字本山無格社天満神社を明治四十三年十一月二日合併許可、祭神同一なるを以て合霊す。
例祭日 十一月五日
神饌幣帛供進指定 大正十三年十月三十日
主なる建築物 神殿、拝殿、社務所
境内坪数 三千五百十三坪 官有地
氏子区域及戸数 二百八十戸
境内神社 水神社、水大神社、北原神社、豊姫神社、淡島神社、佐屋神社

−『福岡縣神社誌』−

社殿の後方に鳥居があり、奥には境内社である石祠が並んでいる。

その鳥居には「豊姫宮」とあり、石祠の中央に豊姫神社が祀られている。
鳥居正面、中央に大きな三祠があり、
その中央に豊姫宮、右に若宮八幡宮、左に天満社。
左右に並んだ小振りの石祠・石碑は、
月讀神社、国津御魂神社、水天宮、淡島神社など。
大正14年5月3日、東上村にあった豊姫神社を境内に祀ったもので、
式内論社である。祭神は、豊姫命

大正時代に遷され、造られたもので、古いわけではないが、
大きな石祠が3つ並んだ光景は、「重み」を感じずにはいられない。
石祠の扉が開いており、中に祭神の像が安置され、
鳥居をくぐると正面に対峙することになる。
明るい晴天の日だったが、言葉に出来ない感覚。


天満社・豊姫宮・若宮八幡宮

天満社

豊姫宮

若宮八幡宮

豊姫宮石祠内の豊姫像

左の石祠群

右の石祠群

 本山の豊姫神社は、現在、同所の天満 神社の境内に末社としてある。石祠の背面に次のやうに刻 す。
豊姫宮ハ元東上村中組ニ鎮座アリシ社殿ヲ大正十四年 五月三日本山天満宮へ合祀シ後日石ノ小祠ヲ建立シ此 處ニ遷座ス 大正十四年十月吉祥日建立
 石祠内に棟礼が保存されてゐるが、表に、「天保十四年 (一八四三)癸卯正月吉辰、奉再建豊姫神社寶殿一宇御井 郡上津荒木上邑氏子(以下缺)、當村大工宮嵜伊七弟子同 苗廣七」、裏に「従五位下川口甲斐守藤原朝臣常晴(缺)、 遷宮(缺)」とある。『筑後誌略』にも「御井郡上津荒木 村ニ乙姫神トテ僅ハカリノ小社アル是ナリト云へり。」と ある。すなはち、現在地より北四百米のところが舊地であ る。毎年正月初子ノ日に小松三本をここから掘りとつて、 高良山廣前に植ゑ申すぺき旨、二十七年己前、先々座主か ら申聞かせられてつづけてゐる旨の『寛延年中の書上』 が、『太宰管内志』に引かれてゐる。このことはすでに 『高良記』にもあり、江戸期に入ってのことではない。

−『式内社調査報告』−



【 天満宮 (久留米)(印刷用ページ) 】

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