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志登神社
しとじんじゃ
福岡県糸島市志登82  Zenrin Data Com Maps display !!


抱き茗荷

式内社 筑前國怡土郡 志登神社
旧県社

御祭神
豊玉姫命
相殿 和多津見神 息長帯姫 彦火々出見尊 武内宿禰命

相殿 高祖明神 志賀明神 神功皇后 高良明神 『和漢三才図会』
相殿 高祖明神 神功皇后 高良明神 『筑前国続風土記』

上記祭神の高祖明神は高祖神社祭神・彦火々出見尊
高良明神は、高良神社祭神・武内宿禰命である。

糸島市(旧前原市)、JR波多江駅から北へ500m強の畑の中にある。
こんもりとした鎮守の森の中に鎮座。

半島状に突き出た志摩地区の付け根にあたる。
志摩地区は、古代、糸島水道によって分離しており、島であった。
志登神社周囲は、その糸島水道にあたり、
海神である豊玉姫命和多津見神を祀っていたものと思われ、
古代は、海より参拝していたらしい。

周囲には弥生時代前期から後期の志登支石墓群が点在している。
かなり古い時期から聖域として信仰されてきた証だろう。

周囲は畑なのだが、鎮守の森の中は別世界を形成している。
寂れていると言えなくも無いが。

創祀年代は不詳。
式内社・志登神社に比定される古社。

志摩郡総社として産土神と崇敬され、
神田も十二町の広さであったが、
元亀・天正年間の兵乱によって廃絶。
元禄年間に福岡藩主黒田光之によって再興された。

明治五年十一月郷社に列し、大正四年十一月県社に昇格した。

『式内社調査報告』などの資料には、境内社は、
厳島神社、三柱神社(大神宮・八坂社・天満宮)、志々岐神社の三社。
入口近くに一つ、社殿の左右に一つずつ祀られている。

入口の祠には鳥居があり扁額に社名があったが良く読めず。
庳神社とも鹿神社とも読めそうな字だった。

社殿左の祠の前に「天満宮」の灯籠が立っていたがこれが三柱社だろうか。
社殿右手の祠は三柱が祀られている三扉だったが。


社域の森

参道入口

境内入口

境内参道

入口近くの境内社

境内

社殿

本殿

社殿左の境内社

境内右の境内社

志登神社 旧県社
糸島郡前原町志登 筑肥線 波多江駅より北一粁
祭神 豊玉姫命(相殿)和多津見神 息長帯姫命 彦火々出見尊 武内宿禰命
例祭 一○月七日 五月七日 秋祭 一二月七日 神紋 ダキミョウガ
本殿 流造一六坪 境内 一六六二坪 末社 三社 宝物 ドルメン群(県文化財)
氏子 五十戸 崇敬者 千人 神事と芸能 (一○月七日)宮相撲宇奉納
由緒沿革 延喜式内の旧祠で、元亀、天正の 頃社領一二町歩を有したが、後小早川秀秋に 没収せられて社運傾いたが、元禄三年国主黒 田忠之が神殿を再興し神田三十余石を寄進し た。

−『神社名鑑』−



【 志登神社(印刷用ページ) 】

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