[HOME] > [神社記憶] > [四国地方] > |
|
豊岡上天神社
とよおかかみてんじんじゃ
高知県南国市岡豊町常通寺島字天神丸619
|
|
式内社 土佐國長岡郡 豊岡上天神社 |
南国市、国分寺跡から国分川沿いに西へ行くと、岡豊山がある。
長宗我部氏の居城があった山だ。(上写真右の山)。
当社はその南西の麓にある。
もとは、岡豊山山頂にあったが、岡豊城築城にあたり、麓へ移された。
麓には僅かに集落があり、畑の中にこじんまりと鎮座している。
境内も狭く、位置的には、川の神なのではないか。
創祀年代は不詳。
式内社・豊岡上天神社に比定される古社。
祭神の、屋船豊宇氣姫命は伊勢神宮外宮と同神とされているが、
船の神でもある。また、天神についたは水の神とする説もある。
そのあたりが、この神の本来の姿なのかもしれない。
もちろん、この地が、肥沃な稲作地帯ではあるのだが。
現在の地名は、「岡豊(おこう)」だが、平安時代は豊岡。
戦国期には岡豊となっていた。
ある学者が、古名に戻すべきだと進言したのに対し、
長宗我部元親は「岡豊のままでよい」と、その学者を処罰した。
岡豊(おこう)は、近くに国府があったため、
御国府(おこう)となったなど、諸説あるようだ。
とにかく狭い境内に拝殿と本殿がある。
また、境内には小さな祠が一つ。資料では若宮とあるが、祭神や由緒は不明だ。
境内で憩うという感じではないのだが、
氏子の方々によって細々と維持されている神社。
それもまた、よい味ではある。
社域、右後方に岡豊山、左の茂みに境内社 |
鳥居 | 拝殿 |
境内社 | 本殿 | 拝殿額 |
境内を裏から |
創祀年代や由来など不明だが、豊岡の地名と関
連あるものとされている。土佐の穀倉地帯である香長平野
の中心部に位置し、すぐ北には舟岩・大平山・小蓮などの
古墳が多く、南方にも明見・高間原・高天原をはじめ多く
の古墳群が連なっており、東には國府・國分寺が、西には
小野神社・土佐神社などの式内社が存在している。土佐國
内で最初に開発され、人々が集住した土地で、地名どおり
豊かな岡にかこまれ、有数の稲作地帯(近世以降には米の二
期作が行われた)であるので、住民が農業紳である豊宇気姫
を奉祀したのであろうといわれている。古来岡豊の産土神
として、豊作の稲神で民衆の生活を守護する神社として信
仰された。社名の天神社についても、『皆山集』に「西和
田の天紳ハ祭日九月廿五日ナレハ、菅公ヲ祭レルコトウタ
ガフヘクモアラシヲ、秦山翁ノ蓮如寺ノ天神ヲ菅神ト定メ
タルモ今スコシイカヽ也。同神ヲ南北二祭ラレタル時代ノ
前後モアルヘケレハナリ」とあって菅原道眞と関連する説
もあるが、現在天神社をアマツカミと読む説も出ており、
やはり何時の頃か豊宇気姫命を祭ったのであらう。
−『式内社調査報告』− |
【 豊岡上天神社(印刷用ページ) 】